イタリア土産で、あまりにもベタで、最近は敬遠されがちな「バーチチョコ」。
もはやネスレグループの傘下だし、と私も思っていたのですが、昨年、ドキュメンタリードラマを見て、このチョコレートの印象が180度変わりました。
奇しくも、バーチチョコが手元に舞い込み、やっぱりイタリアのトラディショナルかしらと思ったので、このチョコレートと生みの親のことを紹介させていただきます。
(私は、いまさら知ったのですが、すでにご存じの方も多いかもしれません。)
このチョコレートの生みの親は、ルイザ・スパニョーリという女性。
結婚後、従軍で家を空けがちな夫と共にできる仕事をと、ペルージャの市街地で、営業権が売りに出ていたアーモンドの砂糖菓子の店を、借金をして買い取ります。
そして、営業を軌道に乗せます。
手間のかかる伝統菓子では、忙しくて子育てどころではなくなっていき、本末転倒。出資者を得て、時代に合った新しいチョコレート会社「ペルジーナ」へと変貌させます。
その過程で、第一次世界大戦がおこり、男性が従軍する中、会社に託児所を整備して、残された妻たちを雇用し、事業を拡大させていきます。
エネルギーとアイデアに満ちたルイザと、音楽家で物静かで保守的な夫との間に、だんだん心の溝が広がっていく中、会社の出資者ファミリーで右腕として共に働いていた若者、ジョヴァンニ・ブイトーニとルイザの間にロマンスが生まれます。
ドラマの中では双子の魂といわれていました。
そんな半ば、秘めたロマンスの中から誕生したのが「バーチチョコ」で、ジョヴァンニの力で、イタリア国内にとどまらず、当時すでにイタリア移民が多く暮らしていたニューヨークにも販路を広げるのです。
(ピエモンテのチョコレート会社とペルジーナとの販売競争がえがかれているのですが、実名は出てきません。)
そして、ルイザがただものではないのが、チョコレートで成功しているにもかかわらず、誕生日にプレゼントされたアンゴラウサギからインスピレーションを得て、アンゴラニット製品をはじめるところです。
そして、彼女の名前を冠した服飾ブランドへ発展します。
現在でも、フィレンツェはもちろん、イタリアの主要都市に「ルイザ・スパニョーリ」のブティックがあります。
アンゴラウサギの毛は時期が来ると自然に抜けるので、膝にウサギをのせて、くしで毛をかきとっていました。たくさんの女工が椅子に座って作業をしている姿が、昔の工場の写真に写っています。
多くの女性労働者を抱えていた彼女は、子育てしながら働いてきた自分や仲間たちの経験から、幼稚園や公共プール、劇場なども兼ね備えた従業員のための町構想をねります。
残念なことに、咽頭がんで58歳という若さで1935年に亡くなりました。その4年後に、町は完成したそうです。
彼女が町の計画で、プールや劇場にこだわったのは、当時、観劇や泳ぐことは、ブルジョワ階級でなければなかなか経験できなかったからです。彼女自身、貧しい家庭で育ち、事業に成功してようやく経験できたのです。それらの文化的な楽しみを、従業員たち、その家族にも提供したいという想いからだったそうです。
子どもたちが近くにいるからこそ生まれた、子どもが喜ぶチョコレート菓子や飴。
彼女を思いながらバーチチョコを味わうと、彼女の優しさが伝わって元気が湧いてくる気がします。
2020.2.19

shinako

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