フィレンツェは、先週末、一気に五月晴れでした。
久々にフィレンツェを出てキャンティ・エリアのドライブに誘っていただき、行きそびれていた修道院、アッバツィーア・ディ・サン・ミケーレ・アルカンジェロ・ア・パッシニャーノへ行くことができました。
修道院の周辺はキャンティ・クラシコのブドウ畑が広がっているのですが、今年は4月に氷点下になり、せっかく伸びていたブドウの新芽がだめになり、例年のこの時期と比べて新芽の成長が遅いのを感じました。
さて、絶好の行楽日和とロックダウン解除から2度目の週末で、私と同様に行楽を予定した人が多かったようで、レストランはどこも予約でいっぱいで、観光スポット周辺の駐車スペースも、駐車待ちをするほどでした。
この修道院の場所は地図上ではバディア・ア・パッシニャーノとなっています。
場所はフィレンツェから車で30分あまり南にあります。
名門のワイナリーであるアンティノーリ家の有名なキャンティ・クラシコが醸造されているのはまさにこの修道院の地下です。

ここに教会が建てられたのは9世紀ごろと大変古く、その当時イタリアを支配していたロンゴバルド族の信仰を集めていた大天使ミカエルの名を冠した教会です。
11世紀に入り、フィレンツェの上級市民出身のサン・ジョバンニ・グアルベルトが創始したバーロンブローザ会派の修道院となりました。サン・ジョバンニ・グアルベルトはこの修道院で亡くなり、今もここの教会に眠っています。

ただ残念なことに、このパッシニャーノ修道院の立地がシエナとフィレンツェの間にあり、中世から両都市の争いが絶えなかったことから、何度も破壊され、現存するほとんどの建物は1600年以降のものです。そしてこの修道院の豊かさにとどめを刺したのがナポレオンのイタリア支配で、貴重な美術品や催事に使う銀器などが持ち去られ、この修道院から姿を消してしまったそうです。そんな中で、この修道院に残るもっとも有名な作品は、ルネサンス時代のフレスコ画で、これは1476年、当時27歳だったドメニコ・ギルランダイオが描いた「最後の晩餐」です。

フィレンツェにはギルランダイオの「最後の晩餐」がほかに2点残されています。フィレンツェのオンニッサンティ教会の作品(1480年)とサンマルコ教会付属の修道院の作品(1482/86年)です。
パッシニャーノの「最後の晩餐」では、ワインの入ったフィアスコと水の入ったフィアスコをあえて重ねて描き、手前に描かれた水の入ったフィアスコの光の反射で奥のワインの入ったフィアスコがぼやけて見えるさまを工夫して描いています。失敗の許されないフレスコ画であえて難しいことに挑戦しているところが意欲的で、ギルランダイオらしいと思いました。
ギルランダイオはボッティチェリと同世代の画家で、1482年、システィーナ礼拝堂の側壁の壁画制作に選ばれた5人の画家のうちの一人です。北方ルネサンスの静物画のテクニックや装飾技法を探求し続け、自分の作品に取り入れたことでも知られています。
ギルランダイオのフレスコ画は、修道僧による修道院内部のガイドツアーに参加することによって鑑賞することができます。時間が決まっており、人数が少ない場合開催されないこともあります。電話予約をお勧めします。
ルネサンス様式の中庭や調理場のほか、現在の修道僧の方のアクティビティーなのか、鶏、ガチョウ、雉が飼育されている鳥小屋のある庭園などが見学できます。




ところで、修道院に残るもっとも古い作品は、教会の中に展示保存されている11世紀の大理石像、大天使ミカエルです。
そのオリジナルは教会内部に、コピーは本来この像が設置されていた教会の棟にあります。
ロマネスク様式らしいまるみのある幅広の顔、ドラゴンの上に立ち、十字架をあしらった剣をドラゴンの口に突き刺した勇ましい図相なのですが、上品で穏やかな印象のミカエルです。

ワイナリーへ行かれるとき立ち寄るのにお勧めの歴史的なバディア・ア・パッシニャーノです。
2021.5.12
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