粗い石がむき出しになったままの未完のファザードを持つフィレンツェのサン・ロレンツォ教会。
ミケランジェロがデザインしたファザードを身に着けるはずだったこの教会にはメディチ家の人々が眠っています。
メディチ家の全面的な財政支援によりブルネレスキの設計によって再建されたサン・ロレンツォ教会。完成したのはブルネレスキの死後1460年だそうです。
内部はフィレンツェにある他の教会とは少し違っています。
白とグレーが基調のとても落ち着いた色のシンプルな内部。
天井には格間がはめられています。メディチ家の紋章も。
左右の側廊には壁画はほとんどなく、礼拝堂が並んでいます。
主祭壇の前の床にはコジモ・イル・ヴェッキオ(メディチ家のフィレンツェ支配を確立した人物。ルネッサンス期の重要なパトロンの一人でもある。)の眠る場所が記されており、そこには“Pater Patriae(祖国の父)”と刻まれています。
中央祭壇から左側へ行くと、ブルネレスキによって設計された旧聖具室があります。旧聖具室にもメディチ家の人々の墓があり、旧聖具室を飾る装飾の多くがどドナテッロによるものです。
旧聖具室の小クーポラの天井には星座が描かれていて、それは1442年7月4日の空を描いたものなのだそうです。今から500年以上も前の星座をこうして見ることができるなんて、なんだが不思議ですね。
その他にも、サン・ロレンツォ教会内の見どころといえば、ドナテッロ作の「説教壇」、フィリッポ・リッピ作の「受胎告知」などがありますが、現在これらの作品は修復中でした。
一旦、教会を出て、回廊のほうへと向かい、付属の美術館へ行きました。
美術館へは回廊にある入口から階段を降りていきます。
美術館の中には豪華な聖具が展示されていました。
そして、美術館の片隅にあるコジモ・イル・ヴェッキオの墓。
コジモ・イル・ヴェッキオは上の写真の柱に見えるところに眠っているそうです。ここがちょうど教会の主祭壇の下になるのでしょう。“Pater Patriae(祖国の父)”と刻まれていた場所の真下なのですね。
フィレンツェの支配者として、権力と富を築き、ルネッサンス初期の多くの芸術家たちのパトロンであったコジモ・イル・ヴェッキオ。この人がいなければ、当時のフィレンツェはなく、現代を生きる私たちも、この美しいフィレンツェの町や芸術を見ることができなかったかもしれないと思うと、お墓に向かって手を合わせたくなりました。
また、コジモ・イル・ヴェッキオの墓の近くにはドナテッロの墓もあります。コジモ・イル・ベッキオとドナテッロはパトロンと支援を受ける芸術家の枠を超えた親友でもあったようです。
そのほか、回廊の他の入口からはミケランジェロが設計したラウレンツィアーナ図書館に入ることも可能です。(教会、美術館、図書館のチケットを購入する必要あり。)
また、サン・ロレンツォ教会の裏手にはメディチ家礼拝堂あり、歴代のトスカーナ大公の墓所となっているほか、メディチ家礼拝堂からミケランジェロが設計した新聖具室に入ることができ、ミケランジェロの作品等も見ることができます。(サン・ロレンツォ教会とは入口が異なり、チケットも別に購入する必要あり。)
フィレンツェを、ルネッサンスを支えたメディチ家の眠る場所。歴史に興味のある方はもちろん、歴史に興味がなくても美しい芸術作品を堪能したい方にもおすすめの教会です。
2015.9.23

shiho

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