先に書きましたように、1418年にドゥオモの円蓋に関するコンクールが行なわれ、ブルネレスキ案が採用されました。およそ20年の歳月をかけて、献堂式が1436年に挙行されました。この間、ブルネレスキは円蓋の建築に打ち込みます。
この建築がどのようになされたかについては、先に引いたキング『ブルネレスキ』に詳述されていますので、ここでは、その本などで私が印象深く読んだところを少しご紹介するにとどめましょう。
ドームの工夫
この連載(1)で、フィレンツェのドゥオモの円蓋(ドーム)の建築に当たってのいくつかの困難点について書きました。略記すれば、次のようです。
a. クーポラ部分は八角形。円形ならば力学的な建設困難性は軽減されるが、八角形ならどうするのか。
b. 建築用資材をどのようにして50メートル以上もあるところまで持ち上げるのか。
c. 円蓋建築のために用いる素材(石材など)をどのようにして調達するのか。
a. について
キングによれば、この点は「ドームの内側にもうひとつのドームがはめこまれた二重殻構造」(22ページ)の採用によってクリアした、というのです。
b. について
この点は、ブルネレスキの経歴にふれておくほうが話がわかりやすいでしょう。彼は、子どもの頃から「機械の故障を直すことに異常な才能を発揮していた」と言います。そこで彼の父親は、ブルネレスキを金細工師の元に弟子入りさせました。
当時は、有名な芸術家も金細工師の元で修行することは不思議なことではありませんでした。ルカ・デッラ・ロッビア、ドナテッロ、ヴェロッキオ、そして、レオナルド・ダ・ヴィンチも、最初は金細工師の元で修行していたのです。
こうして、ブルネレスキは、その才能を開花させていきます。キングによれば、「世界初の目覚まし時計」を考案したといいます。
そうした才能がありましたから、円蓋建設の建築用資材の吊り上げにも、独自の工夫をしました。
クレーンとウィンチ
資材の吊り上げ用のクレーンが考案されました。垂直に持ち上げるだけでなく、水平移動も可能な装置のように思われます。
《ブォナッコルソ・ギベルティによって描写されたブルネレスキの大クレーン》
クレーンができても、そのためのロープを引く力をどうするかという問題が起こります。このウィンチ(巻き上げ機)の「動力」として馬が描かれていますが、キング『ブルネレスキ』では、牛が用いられたと書かれています。そして、ここで使われたロープは、長さ180メートル、重さ450キロ以上あったということです。
ピサには、地中海貿易に用いられる船の造船技術があったと言いますが、それでも、ブルネレスキの要求したロープは、桁外れのサイズだったようです。
牛を周回させ、歯車を介してその力を垂直方向に作用する大規模な装置を、ブルネレスキは開発したわけです。
《タッコラによって描写されたブルネレスキの大ウィンチ》
フィレンツェ国立図書館
このウィンチは、レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめとして多くの芸術家や技術者によって研究され、素描されています。
建築資材・白大理石
資材としては、大理石、レンガ、木材などがありました。
白大理石についてだけ書いておきますと、その産地は、カッラーラ。ここは、フィレンツェの北西約100キロのところにあります。のちのことですが、ミケランジェロの《ダヴィデ》像(1504年)にも、ここの大理石が用いられたことで知られています。
クーポラ上部、そして周囲
クーポラの上部は展望台になっていて、そこに昇りますと、フィレンツェの歴史地区を見下ろすことができ、絶景です。下の広場さえ見えます。逆に言えば、建物の下の広場からクーポラの上部が見えるという関係になります。
この大聖堂の階段を昇ってドームの上まで行くことができます。その昇降の途中で、大聖堂内部を見ることができる空間もあります。そうした場所で、ブルネレスキをはじめとする、この大聖堂を建てた人びとの仕事ぶりに思いをはせるのも良いと思います。
ブルネレスキはクーポラの献堂式を迎えることができました。しかし、ドームの上に「ランタン」を取り付ける工事がその後に行なわれました。レオナルド・ダ・ヴィンチも天蓋の天頂にあるブロンズ球の制作に関与したようです。
「ランタン」だけでなく、ドゥオモの外壁の装飾を充実させるとか、工事は続き、正面(ファサード)の完成は19世紀になってからでした。
1970年代になって、ドゥオモの地下部分の水理調査が行なわれ、ドームの一部が地下を流れる川の上に建設されていたことが判明しました。
そこで、この大聖堂周辺へのトラックやバスの乗り入れが禁止されました。現在、ドゥオモ広場の通行を許されているのは、早朝のゴミ収集車のみだそうです。
話は飛びますが、ヴェネツィアでも、運河に入り込んでくる大きな船が立てる波が周囲の「陸地」に大きなダメージを与えているとのことですが、この先、どうなってしまうのでしょうか。

藤尾 遼

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