“花の聖母大聖堂”と呼ばれるフィレンツェのドゥオモの主祭壇を覆うブルネレスキのクーポラ。
フィレンツェを訪れたことのない人でも、この赤茶色のレンガの瓦に覆われたクーポラを目にしたことがある人は多いのではないでしょうか。
今回はフィレンツェの大聖堂、ブルネレスキのクーポラのお話です。
週末、建築家の知り合いの方から、ブルネレスキのクーポラの模型を見ながら説明を聞いてきました。
フィレンツェの歴史地区を出て、アルノ川の上流に向かって少し行ったところにアンコネッラ公園(Parco dell’Anconella)があります。
その広々とした公園の一角に、フィレンツェの大聖堂のクーポラの模型があります。
このクーポラはイタリア人建築家マッシモ=リッチ氏によって造られたものです。
ブルネレスキが600年前に考え出した手法で再現されています。
さて、フィレンツェのシンボルともいえる大聖堂のクーポラ。実は1400年代まで大聖堂にクーポラはなく、天井の無い状態でした。
1200年代末から大聖堂の建設は始まっているので、天井の無い状態はそうとうな時間だったようです。
というのも、直径46メートルもの八角形のクーポラを造る技術を持った者がいなかったからでした。
そこで、大聖堂の主祭壇を覆うクーポラの設計のコンテストが開かれ、ブルネレスキ、ギベルティといった当時の名だたる建築家たちが模型を作成。
最終的にブルネレスキの案が採用され、1420年より、ブルネレスキ、ギベルティらにより大聖堂のクーポラの工事が始まったのでした。
ギベルティに敵対心を抱いていたブルネレスキは、ギベルティは建築工事の支持が出せないことを知っていて仮病を使い、ギベルティや現場の人たちを困惑させたりしたという逸話も残っています。
そんなひねくれ者のブルネレスキですが、彼の設計案はすばらしく、巨大なクーポラを完成させていきます。
こちらの写真はアンコネッラ公園にあるマッシモ=リッチ氏のクーポラですが、魚の骨のような形のレンガでクーポラができているのが分かるでしょうか。
石では巨大なクーポラを造るには重すぎるため、そして、クーポラの曲線に対応するためにこうしたレンガが使われたそうです。
(実際の大聖堂のクーポラには更にその上にレンガの瓦が敷いてあるため、この魚の骨の形のレンガを目にすることはできません。)
全てにおいて計算しつくされ、完成した美しいフィレンツェの大聖堂のクーポラ。
しかし、クーポラ頭頂部にのせるランターンも含めての完成はブルネレスキの死後だったと言われています。
1400年代にクーポラが完成し、これでフィレンツェの大聖堂は完成!…だったかというと、実はそうではなく…大聖堂のファザード(正面)にいたっては、完成がなんと1800年代後半!
意外と新しいのです。
美しい色大理石に飾られ、大きな赤茶色のクーポラを持つフィレツェの大聖堂。
この美しい大聖堂が完成するまでには何世紀もの時間と、天才たちの知恵と、莫大な経費がかかったのですね。
建築の専門的なことは難しいものの、いつもただ「きれいだな」と眺めていたクーポラも、芸術的というだけではなく、建築学、物理学、数学の集大成なのだなと、素人ながらに感じたのでした。
マッシモ=リッチ氏によるクーポラの模型のあるアンコネッラ公園の住所は下記です。
Parco dell’Anconella
Via Villamagna, 50126 Firenze
2016.7.20

shiho

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