こんにちは。
週を重ねるごとに観光客が戻ってきている印象の現在のフィレンツェです。
ただこれまでの観光シーズンと異なるのは、小さな子どもを連れた家族が多いことです。
そんな変化が象徴的に見られたのが、いつも寂しい共和国広場のメリーゴーランドに順番待ちの列ができていたことです。10年以上フィレンツェに住んでいて初めて見た光景です。

フィレンツェの観光というと、ルネサンスの街並みと美術館や教会を中心とした屋内の芸術鑑賞で、乳幼児にとっては楽しみを見出しにくい観光地のためか、これまで家族連れの観光客の場合、小学生以上の子どもの家族が一般的だったのです。
観光客の若返りがいつまで続くのかわかりませんが、小さな子どもたちを見ているだけで元気をもらえる気がします。
さて、5月26日は聖フィリッポ・ネーリというフィレンツェ生まれの聖人の日となっています。
聖フィリッポ・ネーリは1515年7月22日、フィレンツェの豊かな名門一族に生まれ、教会で教育を受ける中で聖職者の道を進むことを決意します。18歳でローマに移り、オラトリオ会を創設し、その思想と活動はイタリア各都市に広がっていきました。
ピラミッド型のカトリック教会の組織が一般的な時代に、オラトリオ会は上から管理するのではなく、信者に寄り添う共同体として、ピクニックをしたり、賛美歌を共に歌い、告解を重視し、性別を問わない独自の手法を用いたそうです。
オラトリオ会は、ストリートチルドレンから貴族の子弟まで、社会階層の違いをこえて活動し、当時進んでいた都市の若者たちのモラルの崩壊と宗教離れに歯止めをかけたといわれています。
聖フィリッポ・ネーリは、オラトリオ会の讃美歌を著名な作曲家パレストリーナに依頼し、これがオラトリオと呼ばれる音楽ジャンルに発展しました。
そして晩年、聖フィリッポ・ネーリは、フランスのアンリ4世のカトリックへの改宗容認の交渉に尽力しました。これが世界史の教科書にも出てくるアンリ4世のナントの勅令につながります。
聖フィリッポ・ネーリが亡くなったのは1595年5月26日で、その後に比較的短期間の1622年に列聖されています。当時聖フィリッポ・ネーリがいかに尊敬されていたかがうかがわれます。
そして他の聖人と共に、ローマやナポリなど10以上の街の守護聖人でもあるのです。ところが、生まれ故郷のフィレンツェの守護聖人にはなっていません。私はそのことを最近ローマ史の勉強を始めてから知ったのです。実際、ローマでは聖フィリッポ・ネーリが、生まれ故郷のフィレンツェより重要視されていて、オラトリオの活動も続いているそうです。
フィレンツェにある聖フィリッポ・ネーリ教会は、サンフィレンツェ広場にあり、フィレンツェでは珍しいバロック様式の教会です。

この教会の建築がはじめられたのはフィレンツェ出身の教皇ウルバヌス8世(在位1623年~1644年)の時代。教皇は、ローマで活躍していたバロックの巨匠の一人である画家・建築家のピエトロ・ダ・コルトーナに設計を依頼しました。(その後、最終的にピエール・フランチェスコ・シルヴァーニの設計によって完成しました。)
教会内部には聖人の手紙や多くの遺品がまつられています。


フィレンツェの教会でローマ風のバロックの教会はここだけといってよいと思います。
建物中央の入り口はオペラや映画の監督を務めたフランコ・ゼッフィレッリ博物館です。右側はフィレンツェの元裁判所で、今では特別展の開催時などに使われるのみとなっています。建物建設当時はオラトリオの合唱などの場として使われたとのこと。
フィレンツェにお越しの際、聖人の活動を思い起こして少し覗いてみてくださいませ。
2021.5.26

shinako

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