さて、ムジェッロ地区に行った時の続きです。
せっかくここまで来たのだから、ジョットの生家に行こうかということに。
ジョットはルネッサンス初期の芸術家で、
フィレンツェの大聖堂の鐘楼をデザインしたことでも知られていますし、
その作品はウフッツィ美術館でも見ることができます。
有名なのはパドバにあるスクロヴェーニ礼拝堂の壁画でしょうか。
実は、ジョットの出身はこのムジェッロ地区にあるヴィッキオという町で、
その“生家”と呼ばれる建物がヴィッキオにあるのです。
町の中心からは少し離れた丘の上に、“ジョットの生家”があります。
ジョットの生家は博物館になっています。
とても静かなところに建つジョットの生家。
生家の裏にはところどころ鉄の額があって、遠くに広がるパノラマが切り取った絵のように見えます。
春はすぐそこ。ミモザも咲いていました。
今回はジョットの生家の中には入りませんでしたが、入場可能です。
さて、ジョットの生家を後にして、車を走らせていると、“チマブーエの橋”と書いてある小さな看板が目にはいりました。
チマブーエ?
ジョットの師匠であるチマブーエ?
私はこの“チマブーエの橋”を知らなかったのですが、夫は知っていて、近くだから寄っていくことに。
チマブーエ、彼もまたルネッサンス初期の芸術家です。
当時、既にフィレンツェで名を馳せていたチマブーエ。
彼がヴィッキオを訪れたとき、橋の上で石に羊の絵を描いてる羊飼いの少年に出あったそうです。
チマブーエは羊飼いの少年の描いた絵に感動し、その才能を認め、フィレンツェの自分の工房に来るように言いました。
そう、その羊飼いの少年というのがジョットです。
橋の側には記念碑が建っていました。
そして、ジョットとチマブーエが出会ったという伝説がある“チマブーエの橋”と呼ばれる橋。
ヴィッキオ町のサイトによると、この橋は中世のものだそうです。
本当にこの橋の上で、2人の天才が、ルネッサンスの土台を築いた芸術家たちが、運命の出会いをしたのでしょうか。
橋の上から見た川。
この川をジョットもチマブーエも見たのでしょうか。
本当になんでもない日常の景色の中に、偉大な歴史上の人物の足跡が残っているフィレンツェ、トスカーナ。
道を歩いているだけで、歴史上の天才たちが生きた時代を感じられる町、国と言うのは世界にそうあるものではないと思います。
このヴィッキオという町ですが、ジョットだけでなく、
フィレンツェのサン・マルコ修道院の壁画を描いたことでも有名なフラ・アンジェリコ(ベアト・アンジェリコ)の出身地でもあります。
また、ルネッサンス期のフィレンツェの支配者でもあり、多くの芸術家のパトロンとなったメディチ家も、このムジェッロ地区の出身だという説があります。
あまり観光では知られていないムジェッロ地区。
(バルベリーノアウトレットがあることで最近は知名度も上がってきたように思いますが。)
実は、大変魅力的なところなのですよ。
2015.3.18

shiho

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