フィレンツェには昔からの言い伝えがいろいろある中で、婚姻にまつわる血なまぐさい事件が多いのですが、珍しいハッピーエンドの話をご紹介します。
これは、けっこう有名なお話で、1936年に「Ginevra degli Almieri(ジネブラ・デリ・アルミエーリ)」 というタイトルで映画化もされ、舞台作品もいくつかあるようです。
ヒロインは豪商の娘、アルミエーリ家のジネブラ、1396年、18歳の上品で心根も優しく、町一番の美女でした。
彼女には相思相愛のアントニオ・ロンディネッリという若者がいたのですが、彼女の父、ベルナルドは政略結婚でフランチェスコ・アゴランティという商人の息子との結婚を取り決め、ジネブラは家の意向通り結婚します。
結婚式が行われたのは、結婚相手アゴランティ家のロッジア、場所は今のローマ通りとトジンギ通りの交差する当たりだそうです。(相当有力な商人だったことがうかがわれます)
彼女は結婚後、失った恋でふさぎがちになり、夫は仕事ばかりで彼女を気遣うことがありませんでした。彼女は孤独に過ごすうち、容色は日ごとに衰え、病気がちになり、親族が心配し医者に見せても、なすすべがありませんでした。
彼女の病状は、ペストではないかと思われるようになりました。
そしてある朝、ジネブラが晴れやかな美しい顔で目を閉じ亡くなっているのが発見されました。
彼女の亡骸は、この当時の習慣で、白い結婚衣装に花を敷き詰めた板の上に置かれました。嫁ぎ先から出て、カルツァイオーリ通りとオーケ通りの角のロッジアでセレモニーが行われました。そして、大聖堂のほうに運ばれ、アルミエーリ家の墓所があるジョットの鐘楼近く、今のカンパニーレ通り付近に葬られます。
しかし、月初めの火曜日の晩、彼女は突然目覚めたのです。
死んだかに思われた彼女は、実は恋の病で長く気を失っていただけだったのです。
彼女は石板の隙間のわずかな明かりを頼りに墓地から脱出し、走って嫁ぎ先の夫の家に向かい、戸を叩きました。
音に気付いた夫がめをさまし、窓から様子を除きました。白い服に身を包んだ妻の姿を見て、幽霊が現れたと思い、使用人に戸を開けないように言い渡しました。
絶望した彼女は、実家があるメルカート・ヴェッキオ、今の共和国広場に向かいました。
実家の戸を叩くと、この日仕事の会合で父親は不在だったため、母親が戸を開けましたが、青白い血色のない女の顔を見ると、娘とも思わず目をむいて門を閉ざしてしまいました。
すっかり傷ついたジネブラは、力尽きてサンバルトロメオ教会の石段に座り込んだ時、ロンディネッリ家へ行く決心が芽生えました。
戸を叩くとアントニオが出てきて、最初この現実に驚きましたが、落ち着いて彼女を家に入れ、客人として弱り切った彼女を手当てしました。
ロンディネッリ家の手を尽くした看病のおかげで4日後ジネブラは元気を取り戻しました。
この事を知ったジネブラの夫フランチェスコは、2人を教会法裁判に訴えました。
判決は、フランチェスコとの結婚はジネブラの死によって終わっているとして、正式に新たな結婚を認めるとしました。
愛するジネブラとアントニオはようやく結婚することができました。
フィレンツェのシンボル、クーポラができる前の心温まる中世のウソのような本当にあったお話でした。
以前古本屋さんで買った古い小冊子に載っていたお話です。
早くお散歩が楽しめるようになることを願っています。
2020.4.22

shinako

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