フィレンツェは、猛暑が続きましたが、今週は少し落ち着きそうです。
今回は、フィレンツェを代表する一族メディチ家の、4代目の大公コジモ2世とその妹、マリアマッダレーナのお話です。
王家や有力ファミリーの歴史や事件を紐解いていくと、暗い骨肉の争いが想像される出来事が多く、メディチ家もそんな話が山のようにあります。
そんな中、心温まるコジモ2世と身障者として生まれた妹のお話です。
マリアマッダレーナが誕生したのは1600年、生まれながらに体が不自由だったためか、洗礼を受けたのは9歳です(通常、誕生して数か月のうちに洗礼を受けます)。
洗礼を受けたのは、父親の3代目大公フェルディナンド1世が亡くなり、長男コジモ2世が大公になって間もなくの時期でした。
兄のコジモ2世の治世になり、本来なら0歳児で受ける洗礼をようやく受けることができたのです。

父フェルディナンド1世は、初代大公コジモ1世の4男で、もともと枢機卿としてキャリアを積んだ野心家で有能な人物でした。
2代目の大公だったフランチェスコ1世に後継ぎがなかったため、枢機卿の座を捨ててトスカーナ大公として兄の後を継ぎました。
聖職者だったので、トスカーナ大公になりすぐに、フランスでこの当時実権を握っていたメディチ家出身のカテリーヌ・ド・メディチスの孫、クリスティーナと結婚し、9人の子どもをもうけます。
こういった事情だったので、長男コジモ2世が誕生したとき父フェルディナンドはすでに40歳でした。
コジモ2世は20歳を前に大公となったのですが、体が弱く1621年に若くして亡くなってしまします。
妹のマリアマッダレーナは、4歳からサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会の近くの女子修道院、クロチェッタに預けられていました。

足が不自由で階段の上り下りが不可能だったマリアマッダレーナのために、コジモ2世は修道院とサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会と、捨て子養育院を車いすで行き来できる回廊で結ぶなどしたクロチェット宮殿を建てさせます。
完成したのは、くしくも彼が亡くなった1621年です。
この年からマッダレーナは亡くなる1633年まで、快適に暮らせるように兄が建ててくれたこの屋敷で過ごすことになります。
19世紀に、マリアマッダレーナのお墓の中が確認されたそうです。
金属ワイヤーが使われたアートフラワーで胸や頭が飾られていて、最後まで大切にされていたことが伝わる様子だったそうです。
この建物は現在、考古学博物館となっています。

最初の細長い展示コーナーの上を眺めると、サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会への回廊が見えます。

2階の、かつて回廊と通じていたらしき部屋には、マリアマッダレーナ当時のものと思われる華やかな女性らしいフレスコ画の天井装飾が残されています。


2020.8.5

shinako

最新記事 by shinako (全て見る)
- フィレンツェの守護聖人 - 2021年6月23日
- フィレンツェ、ダンテの特別展とジョット - 2021年6月16日
- フィレンツェ郊外のショッピングモール - 2021年6月9日
コメントを残す