6月も後半、夏至も過ぎ、フィレンツェ市の守護聖人の日、6月24日のサン・ジョバンニの日がやってきます。
この日は、例年ですと、フィレンツェ市の祭日で古式サッカー(カルチョ・ストーリコ)の決勝戦と、夜にはミケランジェロ広場の丘から花火と、夏らしいイベントが行われます。けれども、去年と同様、今年もコロナウィルスの影響で行われないこととなりました。白夜祭のイベントもなく、観光客が戻りつつあるとはいえ、寂しい限りです。
古式サッカーは、復活祭に対戦組み合わせのくじ引きが行われたので、今年は開催する方針なのだと期待したのですが、シエナの伝統行事のパリオ(一種の競馬)と同様、結局今年も見送りで、静かなサン・ジョバンニの祭日になりそうです。
さて、フィレンツェ市、古くはフィレンツェ共和国の守護聖人でもっとも有名で権威があるのが洗礼者ヨハネ(サンジョバンニ・バッティスタ)です。他に、帝政ローマの末期にフィレンツェの司教で、ロンゴバルドの侵入を奇跡的に阻止した功績と死後の奇跡があったサン・ザノービ、以前のフィレンツェの大聖堂の名称になっていたサンタ・レパラータ(現在でもニースの守護聖人です)が一般的に挙げられます。さらに7月26日のサンタ・アンナの日に、フィレンツェ共和国がアテネ公を追放したという故事から、サンタ・アンナもフィレンツェの守護聖人ととらえられています。
現在、Wikipediaやフィレンツェ市のサイトなどでは、フィレンツェ市の守護聖人は洗礼者ヨハネと書かれているのみで、他の聖人の名前は上がっていません。
洗礼者ヨハネはあまりにもメジャーで人気のある聖人だけに、トリノ市、ジェノバ市の守護聖人であることもあり、独自性に欠ける印象なのが残念です。
ただ、フィレンツェが洗礼者ヨハネを歴史的にどれだけ重要な守護聖人にしていたかは、1252年に鋳造されたフィオリーノ金貨のデザインからうかがえます。フィオリーノ金貨は、当時ヨーロッパ世界で最も信頼のおける通貨として流通したフィレンツェ共和国の金貨です。この金貨の表側には、フィレンツェ共和国の紋章のデザイン、裏側は洗礼者ヨハネで、このことは当時からフィレンツェを象徴する守護聖人であったことを物語っています。

Attribution: Classical Numismatic Group, Inc.
フィレンツェの美術館や教会にある祭壇画に、洗礼者ヨハネが他の街以上に描かれていることも、フィレンツェの人々が洗礼者ヨハネを特別に重視していたことの表れだと思います。
さて、不思議なのが、サンタ・レパラータです。現在の大聖堂の場所に、それ以前にあった旧大聖堂の名称だったほどなので、かつてはたいへん信仰を集めていた聖人なのだろうと思います。サンタ・レパラータは、パレスチナ出身の上流階級の少女で、2世紀ごろ12歳のころに殉教したと考えられています。記録が定かではなく、中世初期に地中海貿易を介してサンタ・レパラータへの信仰が広まったと考えられており、かつてのフィレンツェの大聖堂の名称に選ばれたことやフランス・ニースの守護聖人でもあることがそれを物語っているようです。聖人の人気も時代とともに移り変わりが見られます。
フィレンツェの大聖堂のメインゲートの両サイドの彫刻はサンタ・レパラータとサン・ザノービです。

サンタ・レパラータは殉教者のシンボルであるヤシの葉をもった美しい女性の姿、サン・ザノービは司教の姿です。
司教の姿の聖人はたくさんいるので判別がつきにくいのですが、一般的には司教杖の渦巻きが前を向いている場合はその街の守護聖人を示しています。
さらに、司教杖のデザインに注目すると羊がかたどられていて、これはフィレンツェの大司教のシンボルでもあるのです。
それぞれの街には複数または単独の守護聖人がいます。その聖人たちの物語や守護聖人に選ばれた経緯などを紐解いていくと、街の歴史が見えてきて面白いものです。
2021.6.23

shinako

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