お盆も過ぎ、日暮れ時の風は秋の気配が漂っているのを感じるイタリアです。
コロナロックダウン以降訪れていなかったサンマルコ美術館に行ってきました。
ベアート・アンジェリコの祭壇画など、板絵の代表作が納められているオスピツィオの間と、1500年代のサンマルコ派の絵画が展示されている大食堂が修復改装工事中で、見学できず、がっかりでした。

本格的に旅行者が戻ってくるだろう来年に向けて整備を進めているのだと思います。
ベアート・アンジェリコ独特の繊細さと調和のとれた鮮やかな色使い清らかさに浸ろうと思っていただけに残念でした。
でも、サンマルコ美術館は修道院にそのまま作品を並べただけの状態だったので、作品管理上も、来場者にとっても、最新の設備が導入されるのはありがたいことだと思います。
さて、気を取り直して、僧房のフレスコ画見学に向かいました。

有名な階段を上がって正面にある受胎告知から、「我に触れるな」などがある第1の廊下の僧房の作品は、ベアート・アンジェリコの手によるものと考えられています。

この作品は、教皇に呼ばれて1回目のローマ滞在からフィレンツェにもどったあと、1450年頃の制作ではないかと考えられています。
僧房のシンプルなフレスコ画と比べて、テンペラ技法も組み合わせて細部まで装飾豊かに描きこまれています。
この日みることができなかった板絵の代わりに、この作品をじっくり鑑賞しました。
国際ゴシック的な華やかな装飾性と、背景や聖人たちの細部に現れるルネサンス的要素に作者の信仰心が伝わってきます。
聖人たちはこの修道院の会派のドメニコ会と、パトロンであるメディチ家の守護聖人、修道院の名前になっているサンマルコです。
そして第三の廊下の僧房は、象徴的なシンプルさが失われています。
ベアート・アンジェリコの下絵をもとに、弟子や協力者によって製作されたと考えられています。
ですが、部屋は全般に第一の廊下より広く、初代院長で後に列聖されたサンアントニーノの部屋があります(中には彼のデスマスクがあります)。
さらに、この廊下の一番奥には、修道院のパトロン、老コジモ専用の部屋があります。
その当時、教皇が来られた際お泊りになられた部屋でもあります。
そんな大切な部屋のフレスコ画なら、ベアート・アンジェリコ自身がすべて描くかと思いきや、ベアート・アンジェリコの弟子だったと考えられているベノッツォ・ゴッツォリが2枚のうち1枚を担当しています。
そして、例外的に高価な青の顔料が使用され、いつもペアで描かれる聖コズモと聖ダミアーノのうち、老コジモの守護聖人コズモのみが描かれています。

そして、ベアート・アンジェリコが描いたと考えられる東方三賢王の礼拝のフレスコ画内の未完部分の聖母マリアは、後世に塗られましたが、現在は色がはがされています。

聖母マリアのマントは、一般的に高価な青が使われるのですが、ベアート・アンジェリコが「僧房に高価な青はふさわしくない」と考え、ほかの僧房の聖母には別の色が使われています。

どういう経緯で色が塗られなかったのかは不明ですが、おそらく弟子はパトロンの注文に従い、師匠はパトロンの依頼より自分の考えを貫いたのではないかと思います。
ます。
ベノッツォ・ゴッツォリに関しては、後に請け負ったメディチ宮殿内にある礼拝堂の壁画制作にあたって、老コジモの息子で痛風病みのピエロからの事細かな修正変更の難題を快く受け入れたやり取りが残っています。
実は、老コジモの代から始まっていたメディチ銀行業の業績伸び悩みは、周辺芸術家も実力者よりイエスマン登用、斬新さより保守的な華やかさを好む芸術傾向にも表れているように思いました。
2020.8.19

shinako

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