ミケランジェロ広場のすぐ近くにそびえ建つ石造りの塔、「サン・ニコロの塔」。
アルノ川の川縁を散歩したら必ず目に飛び込む塔なので、名前は知らなくても見知っている人は多いはず。
フィレンツェに限らず、イタリアの歴史的な街は都市国家で、隣街は敵だったため、それぞれ街を取り囲む要塞を周囲に張り巡らしていたのです。
フィレンツェでも街の規模が大きくなるごとに広げられ、最終市壁は全周8.5キロメートルありました。
大聖堂やヴェッキオ宮殿と同じ時代に、同じ芸術家のアルノルフォ・ディ・カンビオにより計画され、完成したのは彼の死後。
市壁の街道筋の門と見張りを兼ねた塔として「サン・ニコロの塔」は、後の芸術家、オルカーニャ(アンドレア・チョーネ)によって建築が進められ、1345年に完成。高さ45メートルほどの塔です。
昔はこんな塔が市壁の周りに10以上あったのですが、壁は19世紀の後半、イタリア統一が進み、フィレンツェが首都になった時期、街の拡張に伴う都市計画により、そのほとんどが壊され、旧市街地の南側の一部を残すのみとなっています。
塔のいくつかは、モニュメンタルに残されていますが、失われたものもあります。
そしてこんなに高い塔はサン・ニコロの塔のみ。
なぜかというと、1529年フィレンツェ返り咲きを図ったメディチ家が、スペインの圧倒的な軍事力を使い、フィレンツェ包囲戦がおこなわれたとき、フィレンツェ共和国は、大砲で狙われたら倒壊しやすい門の塔を低くしたそうです。
サン・ニコロの塔はなぜ残ったかというと、サン・ミニアート・アル・モンテにその当時最新式の大砲の攻撃にと、防御に特化した要塞がミケランジェロによって造られたため、低くする必要がないと判断されたためだそうです。
街道筋の街の入り口に関所のような目的で建てられた塔なので、「サン・ニコロの門」ともよばれています。
門番が、朝、門を開け、街に入る人から通行税を取り、夕方になると門を閉める、現在でも観光バスで街に入る場合、チェックポイントなるものがあり、入場税のようなものを払わなくてはなりません。観光者は宿泊税を払いますが、中世のころからの伝統のようです。
ウィキペディアを読んでいてびっくりしたのが、1890~1935年まで、ここからグレーヴェ・イン・キャンティまで路面電車が走っていたそうです。
19世紀の終わり街の再開発を指揮した建築家、ジュゼッペ・ポッジ設計の噴水にも、今年、水が戻り、この塔の周りの修復整備が進んでいます。
実は、完全予約制で、この塔に上ることができるのです。
英語、イタリア語のガイドの案内付き一人6ユーロ、
期間は9月30日まで、8月は17:00~20:00、9月は19:00まで。
予約は、電話かメール。
Tel. 055-2768224
info@muse.comune.fi.it
上に登ると、とっても美しいパノラマが広がります。
期間限定のパノラマスポットです。ミケランジェロ広場と合わせてぜひ訪れてみてください。



塔の階段は、蹴上が高めです。
高所恐怖症の方は避けた方がよいかもしれません。
2019.8.28

shinako

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