先日、フィレンツェ市と観光ガイド協会の共同企画のツアーに参加しました。
コロナの下での企画で、観光ガイドの仕事の意義を地元住民にも理解してほしいという趣旨での開催なので、有名なスポットを外して街をより深く知るような内容になっていました。
私が参加させていただいたツアーは、サンタ・クローチェ地区をより深く知るツアーで、集合場所はフィレンツェ国立中央図書館前でした。
天気にも恵まれ、植え込みのアイリスが早くも咲いていることに驚きました。
集合場所となった国立図書館前は、サンタ・クローチェ教会からみてアルノ川の方向にあり、フィレンツェにツアーで来られた方なら見覚えがある場所ではないかと思います。

図書館前のロータリーがある広場の名前は、カヴァレッジェーリ(騎兵隊)広場です。この名前の由来は16世紀後半から19世紀後半まで騎兵隊の駐屯所だったからです。騎兵隊の駐屯所になる以前は、そのお隣にあるサンタ・クローチェ教会の所有地で、当時の教皇によりトスカーナ大公国に下げ渡されたという経緯があります。
フィレンツェが中世に経済力を増していった最大の要因となったのは羊毛の加工です。羊毛を染色加工し、高級な繊維に変えて売りさばくことによりその資金力を元手に14世紀になると金融業で目覚ましい発達を遂げてヨーロッパ一の経済大国となっていくのです。
羊毛の加工で必要な水を引き込みやすいアルノ川流域の低地だったサンタ・クローチェ地区は、羊毛の加工場があった地域でした。雨が続きアルノ川が溢れると甚大な水害に見舞われる、居住環境として恵まれない地域だったのです。そこは羊毛業の繊毛や染色業に携わる貧しい労働者が多く住む地域となりました。アッシジの聖フランチェスコはフィレンツェを2度訪れており、この地区の状況を知り、1220年代にフィレンツェでの布教の拠点をここに定めたと言われています。(サンタ・クローチェ教会は、フランチェスコ修道会のフィレンツェにおける拠点となりました。)
そんな羊毛の加工場と労働者居住地だった名残を示すものは、19世紀の街の近代化で大きく失われてしまったのですが、通りの名前や、一部古い写真からうかがうことができます。
国立図書館に沿って中心街地に続く道の名前はコルソ・ディ・ティントーリ(染色通り)、ベンチ通りを越えて向かって左寄りの通りはヴァジェッライ(染色用大釜)通り、ベンチ通りは元の名をフォッサ(堀や溝を意味する)通りと称したのです。
ベンチ通りを越えてまっすぐ進むとネーリ通り、その通りの右手最初の路地、ブラケ通りは、持ち出し式の建物や、ベンチ通りが入り口になったかつての教会正面の名残など、中世らしさが色濃く感じられる路地です。


この路地を抜けるとペルッツィ広場に出ます。建物の形が湾曲しているのは、古代ローマ帝国時代の円形闘技場を基礎に建てられているからです。

湾曲した壁面にそって向かって左に進んでいくと前方右手にサン・シモーネ教会があります。ラヴァトーイ(洗濯場)通りを挟んでむこう側に見えるシンプルで大きな建物はヴェルディ劇場です。この建物の角に水飲み場があるのですが、かつての洗濯場の所有者だった羊毛組合のシンボルである可愛い羊の頭のデザインが残されています。

羊毛業とは関係ないのですが、ヴェルディ劇場は、1300年代初頭からから500年間にわたり、捕虜や政治犯を中心に債務者や破産者も収容する刑務所として使われていたところです。
そのため歴史に名を遺す有名人がここに収容されています。
おそらくもっとも有名な人物が、歴史家で政治学の著作、『君主論』を書いたニッコロ・マキャヴェッリ、美術書を書いたチェンニーノ・チェンニーニ、フランス大使、ナポリ王、14世紀に破産を経験したフィレンツェの銀行家たちなど。
フランスのバスチーユのように残されていたなら、きっと観光名所になっていたに違いないと思います。

1800年代初め、新たに刑務所として整備されたのがヴェルディ劇場よりさらに東にある、ムラーテと呼ばれる元女子修道院です。ムラーテは現在カフェやバールにチケットオフィスなどが入った商業施設兼集合住宅となっており、改装工事にはイタリア人有名建築家のレンツォ・ピアノも携わっています。そして、監獄の名残がある教会内部は平日見学可能と聞き、後日見学に行きました。


この元女子修道院も、有名人が過ごしたところで、アンリ2世の妻となったメディチ家のカテリーナがここで少女時代を過ごし、ルネサンスの女傑カテリーナ・ディ・スフォルツァ(1463-1509)が夫を亡くした後、ここで過ごしたそうです。
ヴェルディ劇場とムラーテの間にはコンチェ(なめし)通り、コンチェトーリ(なめし職人)通りがあり、その名から、悪臭を伴うきついなめし業に携わった職人の工房と住居があった地区となっていたことがうかがわれます。

今はすっかり観光の街となってしまったフィレンツェの旧市街地ですが、ちょっと視点を変えて探ってみると、かつての街の名残がそこここにあり、宝探しのような面白い街歩きができました。
3月になり、外の風に当たるのが心地よい季節になりました。
イタリアでもスモモ系の花や桜も咲きだしています。

皆様も感染予防に気を配りつつ、ようやく訪れた春を満喫してくださいませ。
2021.3.3

shinako

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