フィレンツェでは、秋の深まりに伴い天候も地中海性気候の雨季に入り、雨の合間に晴れ間がのぞくといった感じに大きく変わりました。
この雨のおかげで栗が落ちて、キノコが出てくるので、悪いことばかりではないのですが、丘の街のシエナでは住宅街で土砂崩れが起きました。幸い、死者は出なかったということです。
さて、今回はフィレンツェの話題です。
フィレンツェをはじめ、イタリアの古い街並みが残るところには、「タベルナーコロ」と呼ばれる祈りの場が壁に設けられています。
その多くが中世からバロック時代にかけて設置されたもので、フレスコ画や浮彫の聖母子で、街角のアートスポットにもなっています。
フィレンツェの旧市街地の街角タベルナーコロの中で、最も目立つ大きなものが「フォンティチーネ」と呼ばれるタベルナーコロです。
場所は、サンタマリアノベッラ駅と中央市場の間の、ナツィオナーレ通りとアリエント通りがぶつかるところです。
作られたのは1522年。後の教皇クレメンス7世がフィレンツェを統治し、芸術的にフィレンツェでは後期ルネッサンスの始まりのころです。
このタベルナーコロの制作は、施釉テラコッタでヨーロッパ中に名を馳せたロッビアーナ工房です(1525年に工房は閉じられました)。
フォンティチーネ(小さな噴水)という名前の由来は、施釉テラコッタの祭壇の下に設けられた7つの智天使の口から水が出るかわいらしい噴水からです。
大理石は、500年の時の流れを感じさせるますが、施釉テラコッタの色は変化なく鮮やかです。
この見事なタベルナーコロの依頼主は、地域の市民団体Potenze Festeggiantiのサンタカテリーナ・ダレッサンドリア通りのBeliemmeです。
この市民団体は、シエナには今でも存続している重要な地域団体コントラーダのフィレンツェにおける組織だったそうです。
創設は1343年で、15~16世紀に存在価値の高い団体だったものの、トスカーナ大公国の安定と共に組織の重要性がなくなり、コジモ2世の未亡人でハプスブルグ家から嫁いだマッダレーナが実権を握っていただろう1629年に、街の平穏を乱す組織団体であるということで解体されてしまったようです。
このタベルナーコロの立派さから組織の力がしのばれます。
中世からルネサンスにかけて、フィレンツェの旧市街地を60ほどに細分していたこの組織が重要性を握っていたことは、シエナのコントラーダ(17つ)を凌ぐ小さな村組織を維持していたということで、驚きました。
2020.10.14

shinako

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