「カナレットとヴェネツィアの輝き」展を観る(続き)
空の色は青
半月ほど前に、「カナレットとヴェネツィアの輝き」展のことを書き、そこに、カナレット作品「昇天祭、モーロ河岸のブチントーロ」(1760年)の写真を入れました。再掲します。
その後、このフィレンツェ・イン・タスカのサイトにあるnote に、イタリア中部の街・オルヴィエートのドゥオモの写真が出ている(11月16日)のを見ました。このドゥオモの写真の青空の鮮やかさに目を見張ったのでしたが、その写真を見ていると、カナレットのこの作品の空はなぜ青くないのだろうか、という疑問がわきました。
青を使った絵画いくつか
青い空を描いた絵画は、限りなく多く存在するでしょうが、ゴッホの絵なら、「星月夜」とか「夜のカフェテラス」などが思い起こされますし、クロード・モネが描いた数々の「睡蓮」に青がふんだんに使われていること、ピカソに「青の時代」があることも有名です。
Vincent van Gogh, Public domain, via Wikimedia Commons
ゴッホ「星月夜」(1889年)
ゴッホの「星月夜」の青は、19世紀初頭に発明されたコバルトブルーを使用しているとのこと。
「合成色素」を使えるようになった19世紀以降のゴッホやピカソはともかくとして、カナレット作品より約100年前に、青色を印象的に使った作品はありました。
Johannes Vermeer, Public domain, via Wikimedia Commons
フェルメール「青いターバンの女」(1665年頃)(別名「真珠の耳飾りの少女」)
この絵は、日本でも公開されたことがありました。
フェルメール(1632〜75)には、青色の印象的な「手紙を読む青衣の女」(1662-63年)という作品もあり、この絵をゴッホも「完璧な色使い」だと絶賛しています。
フェルメールの用いた青は、「ウルトラマリンブルー」というのですが、これは、高価なラピスラズリを原料とするものだとされています。
イシュタル門の青色
古代メソポタミアの都市バビロンは、ネブカドネザル2世の時代(BC 580年ごろ)に最盛期を迎えていました。栄華を極めたバビロンの周囲には8つの門があり、その1つがイシュタル門でした。H. E.デュジャルダン『色の物語 青』(丸山有美訳、翔泳社、2023年)という本によれば、イシュタル門は、「ラピスラズリの粉で着色した釉薬を焼き付けた、多数のエナメル煉瓦でつくられ」ていたとのこと。
その一端を、ベルリンにあるペルガモン美術館で目にすることができます。
もう10数年前ですが、私もペルガモン美術館を訪れ、その再現物の大きさ・色彩に圧倒されたものでした。そのときの写真を1枚示しておきます。ただ、この写真では青色が明瞭にはわからず、その点は残念です。
イシュタル門写真(ベルリン、ペルガモン美術館。撮影・藤尾)
イシュタルという名前は、「豊穣、愛、勝利の象徴」である女神だそうですが、いずれにしても、青色は、こんなにも古い時代から、政治権力者の権威を示す色だったといえるでしょう。
青色の絵の具
デュジャルダン『色の物語 青』には、書名の通り、青という色の物語が述べられていますので、その説明を少し拝借します。
古来、主要な青色色素のルーツとなった天然色素には、植物由来のものと、鉱物由来のものがあったとのこと。鉱物由来のものとしては、ラピスラズリとアズライトがあります。
ラピスラズリは、長い間、アフガニスタンでしか産出されないとされていた鉱物で、12世紀にヨーロッパにもたらされましたが、あまりに高価で、ルネサンス期などの絵画では、アズライトから取られた青色が多く使われたようです。
それが、18世紀初めに合成色素としてプルシアンブルーが発明され、価格も大幅に下がっただけでなく、グラデーションの表現も容易になりました。そこでこの化合物は、絵画のほかに、陶器などにも用いられるようになったのです。このドイツ生まれのプルシアンブルーが、1829年に日本に入ってきます。これを好んで用いたのが、まずは葛飾北斎(1760-1849)でした。
「北斎ブルー」とか「広重ブルー」といわれるものです。
新千円札(北里柴三郎)の裏側に描かれている絵が思い浮かびますね。北斎「富岳三十六景」のうちの「神奈川沖浪裏」ですが、この絵の素晴らしさの一因は、「北斎ブルー」にあるでしょう。浮世絵に多用されるほど、青い絵の具の価格が下がっていたともいえます。
その浮世絵を見て、ゴッホやモネはインスピレーションを与えられたのでしょう。
カナレットのいたヴェネツィア
青色をめぐって少し回り道をしましたが、カナレット(1697-1768)が活動していた場所はヴェネツィアです。その時代は、貿易の中心が地中海から大西洋に移っていましたから、ヴェネツィアもかつての栄光を失いつつあったことは確かですが、1797年のナポレオンに侵略されるまでは、共和国として存続していました。
ルネサンス期の繁栄していたヴェネツィアには、ティツィアーノ(1490頃-1576)などのヴェネツィア派といわれる画家たちが活動していました。(レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)やミケランジェロ(1475-1564)の活動時期とさほど隔たってはいません。)
ティツィアーノが描いた青色の印象的な作品を、一枚挙げておきます。
Titian, Public domain, via Wikimedia Commons
「バッカスとアリアドネ」(1520年代初め)
これは、カナレット作品から240年も前のものです。
この作品は、現在ではロンドンのナショナル・ギャラリー所蔵ですが、カナレットがこの絵を目にすることができたかどうか、私にはわかりません。
同じティツィアーノの作品に、「聖母被昇天」(1516-17年)があります。この作品は、ヴェネツィアにあるサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂にある巨大な聖壇画ですから、カナレットも目にしていたと考えるのが自然でしょう。この絵のマリアの衣装に青色が見えます。
ティツィアーノ「聖母被昇天」(1516-17)
ついでながら、この絵がある同じ聖堂の祭壇画「聖会話とペーザロ家の寄進者たち(ペーザロ家の祭壇画)」(1519-26年)でも、マリアと聖ペテロの衣装の一部に青色が用いられています。
作品整理
少し話が錯綜したかもしれませんので、以上に挙げた作品を、時間順に並べておきましょう。
イシュタル門 古代メソポタミア(BC 580ごろ) ラピスラズリ
ティツィアーノ「聖母被昇天」(1516-17年)
ティツィアーノ「バッカスとアリアドネ」(1520年代初め)
フェルメール「手紙を読む青衣の女」(1662-63年)
フェルメール「青いターバンの女」(別名「真珠の耳飾りの少女」1665年頃) ラピスラズリ
カナレット「昇天祭、モーロ河岸のブチントーロ」(1760年)
北斎「神奈川沖浪裏」(1830-34年頃) プルシアンブルー
ゴッホ「星月夜」(1889年) コバルトブルー
「夜のカフェテラス」(1888年)
モネ 睡蓮の連作(1895年以降)
カナレットと青
カナレットの作品には、青い空が見えるものももちろんあります。詳しく点検したわけではなく、私の単なる印象にすぎませんが、空の多くの部分に雲がかかって描かれていることが多い気がします。
つまり、カナレットは、たしかに青空を描いてはいますが、青色を大きく使うことに強調点がないような印象がある。それはなぜか、という点が気になった、というわけです。
私の推測は、次のような2つです。
【仮説1】
ヨーロッパの中世からルネサンス期、青色を絵画に使うのは、その色素が高価だったために、マリアのように神格化された人物の衣装に限られる傾向があった。(ここに言及したティツィアーノ「バッカスとアリアドネ」は、神話上の世界で、人物がやや神格化されていると言えるでしょう。)そのため、カナレットの世俗的な「景観画」では、青色が大きく自己主張するようなところは描かれなかった。
【仮説2】
カナレットが最も力を込めて描きたかったのは、立ち並ぶ堅固な建築物が形作る街の景観であり、空や水ではなかった。むろん、空を描くことを軽視していたということではなかったにせよ、カナレット作品を求めた顧客たちが望んだところも、都市景観であって、空や水の姿ではなかったとすれば、カナレットにはその要望に応じることが大事だった。
識者からご教示をいただけるとありがたいです。
投稿者プロフィール
- イタリア大好き人間。趣味は読書・旅行・美術鑑賞・料理(主にイタリアン)。「フィレンツェ・イン・タスカ」に不定期に寄稿。
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