ガリレオ博物館 Museo Galileo
フィレンツェのウフィツィ美術館のすぐ隣に、ガリレオ博物館があります。ここは、以前は、科学史研究所・博物館という名前でしたが、今世紀初めに改修され、2010年からガリレオ博物館という名称になりました。ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)が、『星界の報告』(1610年刊)を刊行して400周年にあたるのを記念してとのことです。
『星界の報告』は、分量的にはごく短いものですが、論述は明快で、400年前のものとは思えないほど。(岩波文庫本は現在品切れ、講談社学術文庫本が出ています。)

望遠鏡の製作
1609年のこと。ガリレオは、あるオランダ人が「一種の眼鏡」、今でいう望遠鏡を製作したという噂を耳にして、自分で望遠鏡を、しかも、そのオランダ人の望遠鏡より「いっそう正確な筒眼鏡」(肉眼で見たときより1000倍の大きさに見えるもの)を組み立てるに至ります。そして、天空の観察を始めます(当時も、科学上の発見には国際的な交流が伴っていたのです)。
すると、当然のことですが、今までだれも見たことのなかった世界が見えたのです。どんなに驚いたことでしょう。まず、月の観察についてガリレオは書いています。
月の表面の観察
「月の表面は、多くの哲学者たちが月や他の天体について主張しているような、滑らかで一様な、完全な球体なのではない。逆に、起伏にとんでいて粗く、いたるところにくぼみや隆起がある。山脈や深い谷によって刻まれた[地球の]地面となんの変りもない。」
三日月を望遠鏡で観察すると、三日月の外周側の弧はともかくとして、三日月の内側に当たる弧は、とうてい弧とはいえず、デコボコが見え、「完全な球体」ではないことが明瞭にわかります。ガリレオはその観察結果をこの本に図示しています。
現在から見れば、なんでもないように思えるところでしょうが、これは人類史上初の観察だったと言えるところですし、ガリレオ自身、月の様子を観察してどんなに驚いたことでしょう。
ここに引用したガリレオの見解は、今から見ればなんでもない結論のようですが、この引用文章の中に、月は多くの哲学者たちが考えるような「滑らかで一様な、完全な球体」なのではないとあるところに注目する必要があります。すなわち、汚れた地上と清らかな天上という対比は、当時のキリスト教的世界観と密接につながっていたので、ガリレオの見出した月の姿は、その世界観を掘りくずす意味をもっていたのです。
木星の衛星の発見とフィレンツェ
ガリレオはこのように月面を観察したのですが、そのほかに、木星の周囲を回転する4つの衛星を見つけたのです。見つけたといっても、ある星が衛星であるかどうかは、瞬時にわかることではなく、衛星を長時間観察しなければわからないことです。ガリレオは、木星とその衛星の位置関係を綿密に観察し、記録し、揺るぎない結論に至ったのです。『星界の報告』には、その様子が書かれています。これまた、それまで人類の中で見た人のいなかった衛星を初めて観察したのです。その驚きと感動が、『星界の報告』から伝わってくるようです。
ガリレオは、自ら発見した木星の衛星を「メディチ星」と名付け、『星界の報告』をトスカナ太公メディチ家のコジモ2世に捧げました。こうしてガリレオは、パドヴァ大学教授の職を辞し、コジモ2世のおかかえ哲学者兼数学者としてフィレンツェに移り住むようになりました(なお、現在では、木星の衛星はガリレオが発見した4つにとどまるものではないことが観察されています)。
その他の発見
ガリレオはまた、天の川を観察し、それが「星雲」ではなく、「無数の星の集合」だということを発見したのです。驚きの連続です。
さらには、太陽黒点も発見しました。太陽黒点をめぐっては、ドイツ在住のある学者がガリレオとは独立に「発見」していたという見解もあり、ガリレオはその学者の見解に反論の手紙を送っています。そして、その反論の書簡は、『太陽黒点とその諸現象に関する誌および証明』として出版されました(岩波文庫本『星界の報告』には、その一部である「太陽黒点にかんする第二書簡」が収録されています)。
ガリレオのこの書簡が紹介しているところによれば、このドイツ在住の学者の見解は、太陽黒点は太陽のうちに存在するものではなく、太陽にほど近いところにあって太陽の周りを回転している星だというものでした。この見解に対し、ガリレオは明瞭な反論を展開しています。太陽もまた、当時は「完全な球体」と考えられていたでしょうから、望遠鏡のない世界に生きていた人びとにとっては、太陽に「黒点」があるなどということは驚天動地の事柄でしょう。ですから、「黒点」と見えるものは、太陽の中にあるのではなく、その近くにある星だといった説が唱えられたのでしょうが、ガリレオは、黒点は太陽の外部にあるのではないことを説明しています。
ガリレオ博物館
ガリレオ博物館は、世界有数の科学機器コレクションを所蔵しているとのことです。
上記のように、フィレンツェのメディチ家はガリレオを庇護したこともあり、ガリレオの遺品の望遠鏡などが保存されたのです。(ウフィツィ美術館自体が、元はと言えばメディチ家に由来しますが、ガリレオの遺品も同じように保存されたのです。)
ガリレオ博物館には、ガリレオの遺品だけでなく、15世紀から18世紀にかけてのメディチ家コレクションが展示されています。
それだけではありません。ガリレオ博物館は、単に過去の遺品の展示にとどまらず、世界各地の有力な研究所や研究機関と連携して会議を開催したり、科学や科学史の研究や記録に取り組んだり、さらには、そのオンラインリソースが多くの人に利用可能になるよう努めてもいます。
いずれにせよ、天文学にさほど詳しくない人でも、ガリレオの遺品を観るのは興味深いものでしょう。人類史上、望遠鏡を通じて初めて本格的に天体を観察したガリレオの驚きが伝わってくるようです。
ガリレオ博物館公式サイトを見ると、ガリレオ博物館の詳細な情報を得ることができます(英語版です)。
投稿者プロフィール

- イタリア大好き人間。趣味は読書・旅行・美術鑑賞・料理(主にイタリアン)。「フィレンツェ・イン・タスカ」に不定期に寄稿。
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