カラヴァッジョ(その5)
ボルゲーゼ美術館

ローマにあるボルゲーゼ美術館は、カラヴァッジョ作品を6点所蔵しています。美術館でのカラヴァッジョ作品所蔵点数としては最大とのことです(注1)。という次第で、ここでは、ボルゲーゼ美術館にあるカラヴァッジョ作品について述べておきましょう。
ボルゲーゼ美術館所蔵作品のひとつに、《ゴリアテの首を持つダヴィデ》(1610年、125×100cm)があります。この作品が1610年に描かれたとすれば、カラヴァッジョが没する直前に描かれた作品ということになります。
その画像は、【カラヴァッジョ ゴリアテの首を持つダヴィデ】で検索できます。
この絵は、ダヴィデとゴリアテの話を前提に描かれていますから、まずはそれがどういう話なのかをみておきましょう。
ダヴィデとゴリアテ――「旧約聖書」から
ダヴィデとゴリアテの話は、『旧約聖書』の『サムエル記上』17章に出てきます。「新共同訳」の聖書では、ダビデ、ゴリアトと訳されていますので、以下の引用ではそれにしたがいます。
イスラエル軍とペリシテ軍との戦闘の場面です。その戦闘のなかで、ペリシテ軍のなかにゴリアトという勇猛な巨漢がいて、イスラエル軍の一人と戦おうとイスラエル軍(その王はサウル)に呼びかけます。頑丈に武装したゴリアトは「もしわたしを討ち取るようなことがあれば、我々はお前たちの奴隷となろう。だが、わたしが勝ってその者を討ち取ったら、お前たちが奴隷となって我々に仕えるのだ。」と呼ばわります。さらに言うには、「今日、わたしはイスラエルの戦列に挑戦する。相手を一人出せ。一騎打ちだ。」
「サウルとイスラエルの全軍は、このペリシテ人の言葉を聞いて恐れおののいた。」という状況でした。ゴリアトのような巨漢と一対一で戦おうという人物はいなかったというわけです。
そこに、羊飼いをしているダビデがゴリアトに挑戦すると言って登場します。ダビデは、「血色の良い、姿の美しい少年だった」(17章42)とのこと。サウルは、ダビデに兜、鎧、剣を与えますが、ダビデはこういうものには慣れていませんからと、それらを断り、「川岸から滑らかな石を五つ選び、身に着けていた羊飼いの投石袋に入れ、石投げ紐を手にして」ゴリアトに立ち向かいます。
「ダビデは袋に手を入れて小石を取り出すと、石投げ紐を使って飛ばし、ペリシテ人の額を撃った。石はペリシテ人の額に食い込み、彼はうつ伏せに倒れた。ダビデは石投げ紐と石一つでこのペリシテ人に勝ち、彼を撃ち殺した。ダビデの手には剣もなかった。ダビデは走り寄って、そのペリシテ人の上にまたがると、ペリシテ人の剣を取り、さやから引き抜いてとどめを刺し、首を切り落とした。」(17章49-51)
余談ですが、ジブリ作品(宮崎駿監督)の『天空の城ラピュタ』では、ゴリアテが空中戦艦の名称として登場します。
自画像か?
ここに引用した『サムエル記上』を読んで、ボルゲーゼ美術館所蔵のカラヴァッジョ作品《ゴリアテの首を持つダヴィデ》を眺めれば、この絵がどういう文脈の光景であるかがわかります。
この作品は「自画像を切断された首として表現したもので、画家の悔悛の情を教皇の甥であるボルゲーゼ枢機卿に訴えるものであった可能性が高い」(注2) とのこと。加えて、このダヴィデも、若い頃の自画像だとする見方もあるとのことです。
そうだとすれば、この絵に描かれた人物はいずれもカラヴァッジョ自身だということになるのかもしれません。
逃亡中の身でありながら恩赦を求めてローマに向かうカラヴァッジョ。その彼が、最後まで持っていた作品のひとつが、《洗礼者ヨハネ》(1610年頃、159×124cm)だといいますが、これもボルゲーゼ美術館にあります。
このヨハネ像についても、このヨハネの「憔悴した表情は、4年にわたる流浪の逃亡生活の果ての画家に重なるようだ」(注3) と評されています。
ボルゲーゼ美術館所蔵の他のカラヴァッジョ作品に、初期の自画像とみなされる《病めるバッカス》(1594年、67×53cm)があります。
話がそれますが、ダヴィデといえばすぐに思い出すのが、ミケランジェロの《ダヴィデ像》(1501-04年、フィレンツェ、アカデミア美術館、高さ517cm)です。同じフィレンツェの市庁舎であるヴェッキオ宮殿前に、その複製が置かれています。同じダヴィデでも、カラヴァッジョ作品のダヴィデとはずいぶん違う印象です。
カラヴァッジョの肖像
今述べたのは、カラヴァッジョ自身による自画像とみなされるものですが、カラヴァッジョの肖像としては、オッタヴィオ・レオーニの描いた《カラヴァッジョの肖像画》(1621年頃)があります。
現在のヨーロッパ通貨ユーロが流通し始めた2002年以前、ドイツ、フランス、イタリアなどではそれぞれ別の通貨を用いていました。イタリアの通貨単位は「リラ」でしたが、10万リラ紙幣の絵柄に、このレオーニによるカラヴァッジョの肖像画が用いられていました。
そして、同じ紙幣に、このカラヴァッジョの肖像と並べて《女占い師》(1595年頃、ルーブル美術館蔵、90×130cm)が、その裏面には《果物籠》(1597年、アンブロジアーナ絵画館蔵、31×47cm)といういずれもカラヴァッジョ作品が、絵柄として用いられていたのです。
ふたたびボルゲーゼ美術館
話をもどして、ボルゲーゼ美術館蔵のカラヴァッジョ作品の残る3点についてふれておきましょう。
《果物籠を持つ少年》(1594年頃、70×67cm)
《聖アンナと母子像》(1606年、292×211cm)
《執筆する聖ヒエロニムス》(1605-06年、112×157cm)
この《果物籠を持つ少年》に描かれた果物は、じつに見事に描かれています。
この記事のはじめのほうに、カラヴァッジョの「改悛の情を教皇の甥であるボルゲーゼ枢機卿に訴える」作品ということばを引用しましたが、このボルゲーゼ枢機卿というのが、1605年に枢機卿になったシピオーネ・ボルゲーゼで、その叔父カミッロ・ボルゲーゼが教皇パウルス5世です。シピオーネが、積極的に絵画収集に乗り出したのが、カラヴァッジョのローマ時代に当たります。カラヴァッジョ作品に着目したボルゲーゼ枢機卿の集めた作品が、今はボルゲーゼ美術館に残された、という経緯をたどりました。
それらの作品の入手経過はさまざまですが、一例はつぎのようです。
ここに掲げた《聖アンナと母子像》(イタリア語標題から《パラフレニエーリの聖母》と称することもあり、《蛇の聖母》とも呼ばれます)は、元来は教皇庁馬丁組合の注文で描かれ、サン・ピエトロ大聖堂内に設置されたのですが、組合側にこの絵に対する反発があったとのことで取り外され、それをボルゲーゼ枢機卿が手に入れたというのです。
芸術について「目利き」の有力者の存在がいかに重要性かということがわかる話です。ルネサンス期のフィレンツェについても、同じことがいえるでしょう。
(追記) この「読み物」では、作品の写真を掲げていません。掲載しない理由にご関心がおありなら、この「読み物」の「カラヴァッジョ(その1)」の末尾をご覧ください。また、同じく末尾に、この「読み物」が「改稿版」であること、その理由も付記しました。
(注1) 宮下規久朗『カラヴァッジョ巡礼』新潮社、2010年、32頁。
(注2) 宮下、前掲、119頁。また、石鍋真澄『カラヴァッジョ ほんとうはどんな画家だったのか』(平凡社、2022年)でも、《ゴリアテの首を持つダヴィデ》が描かれた意図について検討されていますが、確かなことは不明というしかないようです。そもそもカラヴァッジョに関しては、著作も日記もなく、メモや手紙も残されていないという事情があるからです。
(注3) 宮下、前掲、36頁。
投稿者プロフィール

- イタリア大好き人間。趣味は読書・旅行・美術鑑賞・料理(主にイタリアン)。「フィレンツェ・イン・タスカ」に不定期に寄稿。
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