カラヴァッジョ(その6)
カラヴァッジョの後世への影響
この連載の(その1)で、カラヴァッジョ作品《キリストの埋葬》は、「ルーベンスにはじまり、フラゴナール、ジェリコー、セザンヌにいたる幾多の画家たちによって模写されてきた」ことにふれました。ここで、後世への影響について、もう少し書いておきましょう。
カラヴァッジョの後世への影響 ベラスケス
ゴンブリッジ『美術の物語』(ファイドン)は、アルタミラとかラスコー洞窟の壁画から現代美術までを通観した著作で、初版は1950年刊行ですが、その後も読み継がれてきた世界的なベストセラーです。(日本語版は、第16版=1995年刊の翻訳、2007年)
この分厚い本の中のところどころに、カラヴァッジョの後世への影響のことに言及されています。
たとえばベラスケス(1599-1660)について、つぎのように書かれています。
ベラスケスはまだイタリアに行ったことはなかったのだが、模写作品をとおして知った、カラヴァッジョの手法と作風に深い感銘を受けていた。ベラスケスは「自然主義」の手法を吸収し、さらにそれを発展させ、従来の約束事にとらわれることなく、自然を冷静に観察した。(405-406頁)
ただし、ここに出てくる「自然主義」ということばには、やや独特の意味があります。その点について、ゴンブリッジは、この本の別のところで、つぎのように書いています。
彼〔カラヴァッジョ〕が欲しかったのは真実、自分が見たままの真実だった。だから、古典的な手本にはなんの魅力も感じなかったし、「理想の美」など気にもかけなかった。彼はいままでの絵画の常識を捨てて、美術をゼロから考え直そうとした。その結果、あいつは世間を驚かせようとしているだけだ、そもそもどんな美や伝統も尊重する気なんてないのだ、と言う人までいた。こういう非難を浴びた画家は、彼が最初だったと言ってもいい。批評家たちは彼の考え方にレッテルを貼り、「自然主義者」と呼んで断罪したのだが、これもいままでになかったことだ。しかし実のところ、カラヴァッジョはたいへんに偉大で真剣な画家だったから、センセーションを起こそうと企んでいる暇などなかった。〔中略〕その仕事は、300年以上たったいまでも挑戦的なものに見える。(392-393頁)
ここに出てくる「自然主義」という観点からカラヴァッジョの作品をながめれば、納得できるところが多いでしょう。ゴンブリッジがここで直接に念頭に置いているのは、カラヴァッジョの《聖トマスの不信》という作品です。
この絵は、十字架にかけられたイエスが復活したとき、3人の弟子がイエスの傷口をみて、そのひとりトマスがイエスの傷口に指を突っ込むという場面(「ヨハネによる福音書」20章27による)を描いています。

《聖トマスの不信》(1601-02年頃、ポツダム、サンスーシ宮殿、107×146cm)
そして、ゴンブリッジは、この作品とベラスケスの《セビーリャの水売り》(1619-20年頃、107×81cm)を比較しつつ、その共通性をものの見事に説明しています。

《セビーリャの水売り》(1619-20年頃、ロンドン、ウェリントン美術館、107×81cm)
この二つの作品を比較してみてください。
ここでいわれている「自然主義」は、「写実主義」と置き換えてもよいでしょう。この「写実主義」ということについて、カラヴァッジョは、すぐれた画家とは、「自然の事物をうまく描き、うまく模倣することのできる画家だ」と持論を述べたとのことですが、宮下規久朗氏の『カラヴァッジョへの旅』(角川選書、2007年、120頁)にしたえば、「これはカラヴァッジョの唯一の肉声にして、史上はじめての写実主義のマニフェストとなった」ということになります。
カラヴァッジョの後世への影響 レンブラント、クールベ
ゴンブリッジ『美術の物語』は、カラヴァッジョのレンブラント・ファン・レイン(1606-69)への影響にも言及しています。
イタリア美術の美しい人物像を見慣れた人が、初めてレンブラントの絵を見ると、その描き方にショックを受けるかもしれない。レンブラントは美しさには関心がなさそうだし、むきだしの醜さにもひるむ様子がないからだ。実際そのとおりだったとも言える。当時はほかの画家たちもそうだったが、レンブラントもカラヴァッジョの考えに同調していた。カラヴァッジョの影響を受けたオランダ人をとおして、カラヴァッジョの作品にふれていたのである。カラヴァッジョと同様、彼も調和と美しさよりも、真実と誠実さを大切にした。(427頁)
ちなみに、ここでゴンブリッジが直接に言及しているレンブラント作品は、《教えを説くキリスト》(1652年頃)というエッチングです。ただ、このエッチング作品は、ネット上で手早く見つけるのは難しいかもしれませんが。
ネット上ですぐに見つかる写真という点でここに紹介するなら、ゴンブリッジは、クールベ(1819-77)の《出会い(こんにちは クールベさん)》をあげています。

《出会い(こんにちは クールベさん)》(1854年、ファーブル美術館、132×150cm)
彼〔クールベ〕は1855年にパリの掘立て小屋で個展を開き、それを「写実主義、G・クールベ」と名づけた。彼の「写実主義」は、美術に起こった革命の旗印となった。クールベはだれの教えも求めず、自然だけに学ぼうとした。彼の性格と構想は、どこかしらカラヴァッジョに似ていた。きれいさではなく、真実さこそ彼の望むところだった。(511頁)
ただし、ゴンブリッジはここで、「どこかしらカラヴァッジョに似ていた」としているだけですが。
投稿者プロフィール

- イタリア大好き人間。趣味は読書・旅行・美術鑑賞・料理(主にイタリアン)。「フィレンツェ・イン・タスカ」に不定期に寄稿。
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