ピエロ・デッラ・フランチェスカとアレッツォ
フィレンツェのウフィツィ美術館の《ウルビーノ公夫妻像》は、忘れられない印象を残す絵です。

ウルビーノ公夫妻像 1474-75年頃 パブリック・ドメイン
ピエロの「再発見」
この絵を描いたのはピエロ・デッラ・フランチェスカ(1412年頃〜1492年)。初期のルネサンスの画家です。西洋美術史学者の石鍋真澄氏の『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』(平凡社、2005年)の「プロローグ」には、「イタリア美術に関していえば、二〇世紀はピエロ・デッラ・フランチェスカとカラヴァッジョに魅了された世紀だった、といっていいだろう。ピエロもカラヴァッジョも、二〇世紀が再評価して、芸術の神殿に祭ったのであり、彼らの芸術は二〇世紀の発見物といっていいのである。」(7頁)と述べられていて、ピエロ評価の高さがうかがえます。
別の角度からの話ですが、石鍋氏は、近年行われた「イタリアが手がけた最も重要な修復作業」を4つあげています。(同書、140頁)
・レオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》
・ミケランジェロのシスティナ礼拝堂
・マザッチョのブランカッチ礼拝堂の壁画
・ピエロのサン・フランチェスコ聖堂の《聖十字架物語》壁画
これらの修復は、1978年の《最後の晩餐》修復開始から世紀末までのそれぞれの時期に行なわれたものです。ピエロの《聖十字架物語》の修復が、《最後の晩餐》やシスティナ礼拝堂の修復と並べて重視され、「最も重要な修復作業」に数えられている点が目を惹きます。
ピエロの《聖十字架物語》は、アレッツォ(フィレンツェの南東方向、直線距離なら約60km)という小都市にあるサン・フランチェスコ聖堂壁画です。その修復結果はめざましいものでしたが、だからと言って、ピエロの《聖十字架物語》が注目されたのは、その修復作業の結果だということではありません。というのは、ピエロは20世紀になって「再発見」されていたからです。アンリ・フォシヨン『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』(新装版・原章二訳、白水社、2009年)第1章に、ピエロが死後には「知られざる画家」にとどまっていたこと、20世紀に入って注目度が大いに高まったことなどの経緯が述べられています。
「再発見」の経緯はフォシヨンの本にゆずるとして、20世紀半ばには、ド=ゴール政権でフランスの文化大臣を務め、『空想美術館』などの著作でも知られるアンドレ・マルローも、ピエロを大いに評価していました。
それにしても、1990年代における《聖十字架物語》の修復によって、この壁画にもたらされた輝きは、観る人びとの眼を奪ったようです。
連作《聖十字架物語》から
そのうちの1点を次に掲げます。

《聖十字架物語》のうちの《シバの女王の聖材礼拝とソロモン王との会見》の場面 1452-58年頃 アレッツォ、サン・フランチェスコ聖堂主礼拝堂 パブリック・ドメイン
修復後は、衣装の色彩も一段と鮮やかに見え、また、人びとの端正な姿が印象的です。
ジョルジョ・ヴァザーリ(1511〜74)の『ルネサンス画人伝』(平川祐弘・小谷年司・田中英道訳、白水社、1982年)には、ピエロの《聖十字架物語》という連作について、「この連作に見られる周到な心くばりと描写の手法は賞讃に値する。たとえば、女王シバの侍女の衣服は新しい優雅な作風で扱われる。人物の顔はいかにも昔の人らしく真実性に富んでいる。コリント洋式の柱列は計算されつくされ、神技に近い。」(小谷年司訳、74頁)と書かれています。
私の手元にある『ルネサンス画人伝』(第4刷)を収めた函のカバーには、この女王シバとその侍女たちを描いた部分が掲載されていて、その評価の高さの一端がうかがえます。
ところで、この連作壁画《聖十字架物語》は、次に掲げる写真のサン・フランチェスコ聖堂主礼拝堂内の十字架部分を取り巻くように描かれています。

と言っても、この写真では壁画自体がどのようなものか、ほとんどわかりませんけれども、壁画がどのような場所に描かれているかはご想像いただけるかと思います。この写真の、向かって右側の壁に描かれた壁画の一部を写した別の写真を次に掲げます。
壁画全体は《聖十字架物語》というわけですが、これは、キリストがはりつけになった十字架の木の奇跡譚で、その物語のいろいろな場面が絵画化されていて、この写真はその一部を写したものです。

この写真の下半分に写っているのが、《コンスタンティヌス帝の勝利》という場面の絵で、空の青さも鮮やかな作品です。その上に描かれているのが、先に見た《シバの女王の聖材礼拝とソロモン王との会見》です。そして、《コンスタンティヌス帝の勝利》の左側に、ごく一部(右上端)だけ見えるのが、《コンスタンティヌス帝の夢》という絵です。この絵を次に載せます。

ピエロ・デッラ・フランチェスカ《聖十字架物語》中の《コンスタンティヌス帝の夢》329 cm×190cm パブリック・ドメイン
この絵について、ヴァザーリ『ルネサンス画人伝』には次のように評されています。
「多くの工夫のなかでも、芸術上の独創性は、夜と天使を描いた物語に一番よく発揮されている。天使がコンスタンティヌス大帝をめがけて、勝利を告げるために飛来する。天使は前縮遠近法で描き込まれている。コンスタンティヌスは天幕で眠りについていて、それを一人の従者と兵士が警護している。衛兵のほうは夜の闇にくろぐろと見える。天使を光源とする光が、同時に天幕と衛兵とあたり一体を照らし出しているが、その手法には細心の注意が払われている。暗やみの表現において、ピエーロは対象そのものに直接迫り、現実をあるがままに描き出すことがいかに重要であるかをわれわれに認識させてくれる。われわれの時代の人間にピエーロは進むべき道を示し、芸術全体が頂点にある今日への礎石を置いたのである。」(74-75頁) じつに高い評価です。ここに「前縮遠近法」とありますが、この点はあとでまたふれます。なお、ヴァザーリ『ルネサンス画人伝』の「ピエロ・デッラ・フランチェスカ」の章については、ここに挙げた石鍋氏の本にもフォシヨンの本にも、「付録」として収録されています。
壁画の修復
ピエロの壁画の修復についてふれましたが、たとえば次の2冊の画集でも、修復前後の様子の一端をうかがうことができます。
・アレッサンドロ・アンジェリーニ『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』(イタリア・ルネサンスの巨匠たち・16)池上公平訳、東京書籍、1993年
・石鍋真澄監修『ルネサンス美術館』小学館、2008年
前者に出ている《聖十字架物語》の写真は修復前のもので、この画集には《聖十字架物語》の写真36葉の写真が掲載されています。後者には修復後の14葉の鮮やかな色彩の写真が掲載されていて、うち12葉はサイズがやや小さいのですが、その説明部分に付けられた「修復で輝きを取り戻したキリスト教の物語」というタイトルにも納得させられます。
この2冊の両方に収録された《ヘラクリウスの勝利》や《聖十字架賞賛》などの修復前・修復後の写真を見比べると、「輝きを取り戻した」さまが感じられ、修復が絵を鑑賞する人びとに与えた衝撃が伝わってくるようです。
ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品は、日本ではたいへんな愛好家はいるとしても、広く知られているとは言えないでしょう。その理由としては、彼の作品数が多くないことも一因かもしれません。「ピエロの真筆と見なされるものは《聖十字架伝説》を全体でひとつと数えて二十点余り、フェルメールの場合よりさらに少ない」(前掲、フォシヨン『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』の訳者「新装版によせて」。なお、《聖十字架伝説》のイタリア語は、Le Storie della Vera Croce ですが、そのStorieは、「物語」とも訳せるとともに、絵画の「伝説の一連の場面」をも意味しています。)のです。また、代表作が壁画であるために、その鑑賞には現地に行かなければならないことも理由のひとつでしょう。
《聖十字架物語》のある場所はアレッツォという小都市です。フィレンツェの駅(サンタ・マリア・ノヴェッラ駅)からアレッツォ駅まで、鉄道を利用して行くことができます。ついでながら、ピエロが生まれたのは、アレッツォから遠くない小都市サン・セポルクロです。このサン・セポルクロ市立美術館にも、《ミゼリコルディア祭壇画》が所蔵されています。(その主要部分が描かれたのは1460〜62年頃)
絵画史上での注目点のひとつ――遠近法
先に、ヴァザーリの「前縮遠近法」という表現を見ましたが、その点について補足します。
ピエロの《コンスタンティヌス帝の夢》を眺めると、甲冑をまとって槍を手にした衛兵の背中が黒っぽく描かれているのに対し、その向かい側に座っている従者の顔には光が当たっています。つまり、この絵が描いている空間では、左側の二人の人物の間の上方、つまり天使に光源があることがわかると同時に、光が画面に奥行きを与えていることがわかります。「光の遠近法」ともいうべき手法が使われています。これは、のちのカラヴァッジョ(1571〜1610)の作品などにも現れてくるもので、たとえば、《聖マタイの召命》には、それが劇的に表現されています。この絵については、この「読み物」連載の「カラヴァッジョ(その5)」に写真を入れています。
また、この文章の最初に《ウルビーノ公夫妻像》にふれましたが、この絵の背景になっている風景を見ると、近景部分がわりあいくっきり描かれているのに対し、遠方の山々などはやや青みがかっています。これは、「空気遠近法」といわれる技法です。この技法が用いられた作例として、フィレンツェで見ることのできるレオナルド作品なら、《受胎告知》をあげることができるでしょう。この絵では、マリアと天使の間に、遠方の山が描かれていますが、その山は少しかすんだように描かれているのが、その技法にあたるわけです。レオナルドの《受胎告知》については、この「読み物」連載の「聖母像 フィレンツェの受胎告知画(その1)」に写真を入れています。
ピエロ・デッラ・フランチェスカには「遠近法論」という論文があります。石鍋真澄『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』の巻末に、それが「付録資料」として訳出され、図版も豊富で、丁寧な訳註が付けられています。ただ、ピエロの「遠近法論」がレオナルドの遠近法に影響を与えたかどうか、確認はできないようです。いずれにせよ、ピエロの絵を眺めるのは、遠近法についてあれこれ考えるきっかけを与えてくれる点でも、興味深いものです。
投稿者プロフィール

- イタリア大好き人間。趣味は読書・旅行・美術鑑賞・料理(主にイタリアン)。「フィレンツェ・イン・タスカ」に不定期に寄稿。
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