カラヴァッジョ(その8)

カラヴァッジョとミケランジェロ

 宮下規久朗氏の『西洋絵画の巨匠11 カラヴァッジョ』(小学館、2006年)は、カラヴァッジョ作品を見る際には、画像も大きく、じつにありがたい画集です。しかも、それぞれの絵に解説が付けられ、大いに教えられます。
 教えられたことは多いのですが、その一つがミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)の絵からの影響という点です。
 宮下氏の記述の受け売りですが、この点を書きとめておきます。

ミケランジェロ《アダムの創造》

 この連載の(その5)で、カラヴァッジョの《聖マタイの召命》にふれました。その絵をここでもう一度見てみましょう。

Michelangelo Merisi da Caravaggio, Public domain, via Wikimedia Commons
《聖マタイの召命》(1599-1600年、ローマ、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂コンタレッリ礼拝堂、322×340cm)

 上記の画集で、宮下氏は次のように書いています。

風俗画のような現実性と迫真的な明暗描写によって、カラヴァッジョの名前を一朝にして高からしめた記念碑的な作品。マタイに向かって差し出すキリストの右手の表現は、ミケランジェロの有名な《アダムの創造》(1510年、ヴァティカン宮殿、システィーナ礼拝堂)のアダムからとられており、「第二のアダム」であるキリストの役割を効果的に示している。〔以下略〕(45頁)

 ここに描かれたキリストの右手の表現が前提としているミケランジェロ作品を見てみましょう。

The Creation of Adam (1508–1512), by Michelangelo, Sistine Chapel, Vatican.
Michelangelo, Public domain, via Wikimedia Commons
《アダムの創造》(1511年頃、システィーナ礼拝堂、480×230cm)

 これは、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂にあるフレスコ画群に含まれるミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)の作品で、カラヴァッジョ《聖マタイの召命》の90年前に描かれました。
 さて、キリストの右手の表現を、アダムの左手のそれと比べてみると、いかがでしょうか。

ミケランジェロ《最後の審判》

 この連載(その2)で、カラヴァッジョ《エマオの晩餐》(第1作)にふれました。この絵もここでもう一度見てみましょう。

Supper at Emmaus, 1601. National Gallery, London
Caravaggio, Public domain, via Wikimedia Commons
カラヴァッジョ《エマオの晩餐》(1601年、ロンドン、ナショナル・ギャラリー、141×196cm)

 この作品について、宮下氏は先に紹介した画集の解説で、次のように書いています。

復活したキリストをそれとも知らず食事をともにする2人の弟子。キリストがパンを祝福して割いた瞬間、彼らは気づいた。〔中略〕このキリストは通常とは違う、ひげのない若者の容貌をしている。そのポーズはミケランジェロの《最後の審判》〔中略〕のキリストから借用している。

 では「借用」されたほうの《最後の審判》の画像を次に見てみましょう。

Michelangelo, Public domain, via Wikimedia Commons
《最後の審判》(1536-41年、システィーナ礼拝堂、フレスコ画、1370×1200cm)

 この絵の上方・真ん中で右手を上げた姿で描かれているのがキリストです。そのポーズを、《エマオの晩餐》のポーズと比較すると、いかがでしょうか。

 この連載の(その6)では、カラヴァッジョから影響を受けた画家・作品ということで、ベラスケス《セビーリャの水売り》などについてふれました。これは、ベラスケスによるカラヴァッジョへのオマージュ(賛意)あるいはリスペクトを表現したものとみることができるでしょう。
 今回ここでご紹介したミケランジェロ作品との関係も、ミケランジェロに対するカラヴァッジョの敬意・オマージュといってよいでしょう。また、ミケランジェロ作品に示唆を受けながら新たな境地を開いたカラヴァッジョの世界といえるかもしれません。そういうことに思いをめぐらすと、興味が尽きません。

投稿者プロフィール

藤尾 遼
藤尾 遼
イタリア大好き人間。趣味は読書・旅行・美術鑑賞・料理(主にイタリアン)。「フィレンツェ・イン・タスカ」に不定期に寄稿。

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