カラヴァッジョ(その4)
ボルゲーゼ美術館
ローマにあるボルゲーゼ美術館は、カラヴァッジョ作品を6点所蔵しています。宮下規久朗氏によれば、美術館でのカラヴァッジョ作品所蔵点数としては最大だといいます。
この連載(その1)で、《ゴリアテの首を持つダヴィデ》(1610年、125×100cm)を掲載しましたが、これがボルゲーゼ美術館所蔵作品のひとつです。この作品は、カラヴァッジョが没する1610年に描かれた作品。
上記の宮下氏によれば、この作品は「自画像を切断された首として表現したもので、画家の改悛の情を教皇の甥であるボルゲーゼ枢機卿に訴えるものであった可能性が高い」とのこと。加えて、このダヴィデも、若い頃の自画像だとする見方もあるとのことです。
ダヴィデといえばすぐに思い出すのが、ミケランジェロの《ダヴィデ像》(1501-04年、フィレンツェ、アカデミア美術館、高さ517cm)です。同じフィレンツェの市庁舎であるヴェッキオ宮殿前に、その複製が置かれています。同じダヴィデでも、ずいぶん違う印象です。
ダヴィデ像のことはさておき、逃亡中の身でありながら恩赦を求めてローマに向かうカラヴァッジョが、最後まで持っていた作品のひとつが、《洗礼者ヨハネ》だといいますが、これもボルゲーゼ美術館にあります。

《洗礼者ヨハネ》(1610年頃、ローマ、ボルゲーゼ美術館、159×124cm)
カラヴァッジョ像
ボルゲーゼ美術館所蔵の他のカラヴァッジョ作品としては、これまた初期の自画像とみなされる《病めるバッカス》があります。《ゴリアテの首を持つダヴィデ》のゴリアテが晩年の自画像だとすれば、こちらは若き日の自画像ということになります。

《病めるバッカス》(1594年、ローマ、ボルゲーゼ美術館、67×53cm)
ちなみに、カラヴァッジョの肖像としては、オッタヴィオ・レオーニの描いた作品があります。

オッタヴィオ・レオーニ《カラヴァッジョの肖像画》(1621年頃、フィレンツェ、Biblioteca Marucelliana)
現在のヨーロッパ通貨ユーロが流通し始めた2002年以前、ドイツ、フランス、イタリアではそれぞれ別の通貨を用いていました。イタリアの通貨単位は「リラ」でしたが、10万リラ紙幣の絵柄に、このレオーニによるカラヴァッジョの肖像画が用いられていたことがありました。
ボルゲーゼ美術館から離れますが、同じ紙幣に、カラヴァッジョの肖像と並んで《女占い師》(1595年頃、ルーブル美術館蔵、90×130cm)が、その裏面には《果物籠》といういずれもカラヴァッジョ作品が、絵柄として用いられていたのです。

《果物籠》(1597年、ミラノ、アンブロジアーナ絵画館、31×47cm)
ふたたびボルゲーゼ美術館
話をもどして、ボルゲーゼ美術館蔵のカラヴァッジョ作品の残る3点を掲げておきましょう。

《果物籠を持つ少年》(1594年、67×53cm)

《聖アンナと母子像》(1605-06年頃、292×211cm)

《執筆する聖ヒエロニムス》(1606年、112×157cm)
この記事のはじめのほうに、カラヴァッジョの「改悛の情を教皇の甥であるボルゲーゼ枢機卿に訴える」作品ということばを引用しましたが、このボルゲーゼ枢機卿というのが、1605年に枢機卿になったシピオーネ・ボルゲーゼで、その叔父カミッロ・ボルゲーゼが教皇パウルス5世です。シピオーネが、積極的に絵画収集に乗り出したのが、カラヴァッジョのローマ時代に当たります。カラヴァッジョ作品に着目したボルゲーゼ枢機卿の集めた作品が、今はボルゲーゼ美術館に残された、という経緯をたどりました。
それらの作品の入手経過はさまざまですが、一例はつぎのようです。
ここに掲げた《聖アンナと母子像》は、元来は教皇庁馬丁組合の注文で描かれ、サン・ピエトロ大聖堂内に設置されたのですが、組合側にこの絵に対する反発があったとのことで取り外され、それをボルゲーゼ枢機卿が手に入れたというのです。
この連載(その3)でも書いたことですが、カラヴァッジョ作品に反発する人びともいれば熱中する人もいたことが、ここでもうかがえます。
投稿者プロフィール

- イタリア大好き人間。趣味は読書・旅行・美術鑑賞・料理(主にイタリアン)。「フィレンツェ・イン・タスカ」に不定期に寄稿。
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