レオナルド・ダ・ヴィンチの《東方三博士の礼拝(マギの礼拝)》
数多い《東方三博士の礼拝》図
この「読み物」の連載で、「アルノ川大氾濫と修復」について書いたとき、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の《東方三博士の礼拝》の修復について少しふれました。ただ、この修復は、アルノ川の氾濫とは直接の関係はなく、ただ、近年話題になった修復ということで言及したのでした。今回は、そのレオナルドの《東方三博士の礼拝》について書いておきます。
ルネサンス期の絵画でしばしば取り上げられる画題に、イエス・キリストの誕生に関わる《東方三博士の礼拝(マギの礼拝)》があります。(「三王礼拝」という場合もあります。)
フィレンツェには数々の三博士礼拝図が残されていて、それらを比較しながら見て回るだけでも、興味深いものです。なにしろ、レオナルドだけでなく、ボッティチェッリなども《マギの礼拝》を描いていて、それらがウフィツィ美術館に残されているからです。
聖書の中の「東方三博士の礼拝」の記述
「東方三博士の礼拝」とはなにか。これは、新約聖書の『マタイによる福音書』2章1節〜23節に述べられている話です。その一部を抜粋しておきましょう(訳文は新共同訳)。
「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』」(1節〜3節)
ここで、「東方」から来た「占星術の学者」というのがマギです。マギたちが、「出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子(おさなご)のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」(9節〜11節) こういう聖書の記事が絵画化されているのが三博士礼拝図なのです。
レオナルドの《東方三博士の礼拝(マギの礼拝)》
レオナルドの《東方三博士(マギ)の礼拝》 (1481-82年、243cm×246cm)は、ウフィツィ美術館に収められていますが、2011年から17年に修復作業がなされました。
レオナルドは、1481年3月に、フィレンツェ郊外のサン・ドナート・ア・スコペート修道院の主祭壇用に、《マギの礼拝》の制作を依頼されました。しかし彼は、翌82年、ミラノ公国の軍事技師として雇われてミラノに行ってしまいましたから、《マギの礼拝》の制作は完成には至りませんでした。
残されたレオナルドの作品をみると、三人の博士が描かれているはずですが、どれが博士なのか、よくわからない描き方です (注1)。
その点についてのある説明では、この「マギの礼拝」という主題には定型があって、「三人の博士はそれぞれ老いたアジア人、青年のヨーロッパ人、少年のアフリカ人で表現されることが多い。三世代にわたる世界中の人々がイエスにひれ伏すという意味が込められている。が、レオナルドのこの絵では誰が三博士なのかがわかりにくい。〔中略〕定型表現に従おうとしない点も、レオナルドならではの特質だ。(注2)」とのことです。
『マタイによる福音書』には、イエスが生まれたとき、「東方で星を見た」「占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て」とあります。それなのに、「東方」にいたとも思えない「青年のヨーロッパ人」や「少年のアフリカ人」がなぜここに登場するのかよく分かりませんけれども、それはともかくとして、レオナルドがそういう「定型表現」には従おうとしなかったという指摘は興味深いところです。
また、この絵は、レオナルドがミラノに移ったため完成に至らなかったとのことですが、「構図があまりにも斬新なものだったため、下絵の段階でキャンセルされた可能性もある(注3)」という説もあるようです。
以下においては、この「あまりにも斬新」と言われていることに着目したいと思います。
「あまりにも斬新」
《マギの礼拝》からいったん話を転じ、ウフィツィ美術館にあるレオナルドの《受胎告知》(1472-75年頃、98cm×217cm)について考えてみます。この《受胎告知》は、2007年に来日したことがありましたから、ご覧になったかたも少なくないと思います。
この絵のテーマである受胎告知というのは、新約聖書の『ルカによる福音書』1章にみえる話。天使ガブリエルがおとめのマリアに「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」と告知する場面です。この「受胎告知」という主題は、それまで多くの画家たちも描いてきたものです。
しかし、例えばレオナルドの《受胎告知》に描かれた天使の羽は、それ以前に描かれた天使の羽とはかなり異なっています。
それまでの天使の羽は、黄金色などで絢爛豪華に描かれていたのですが、レオナルドの描いた羽はそういうものではありません。レオナルドは、「天使は空を飛ぶのだから、翼はそれに似ているはず(注4)」と考えたようです。そう思ってレオナルドの《受胎告知》を眺めると、天使の羽は絢爛豪華とは言えず、それ以前の羽に比べると短めで、天使の背中と羽の接続部分ががっしりしている印象です。「受胎告知」の伝統的な構図を踏襲しつつも、「定型表現」とは異なっていて、「あまりにも斬新」というべきでしょう。
そういう「斬新さ」が、レオナルドの《マギの礼拝》にも現れていても不思議ではありません。
遠近法
レオナルドの《マギの礼拝》に関しては、その絵の背景のための遠近法習作(1481年頃)がウフィツィ美術館に残されています。そこにはルネサンス期に確立された「線遠近法」が如実に現れていて、その確立の様子をよくうかがうことができます。
レオナルドの遠近法という点では、《マギの礼拝》に先立って描かれた《受胎告知》では、「空気遠近法」も用いられ、大気の色合いの変化によって遠近感が巧みに表現されています。これも斬新なところでしょう。
そのほかの《東方三博士の礼拝(マギの礼拝)》
レオナルドの《マギの礼拝》は未完成に終わりましたが、この修道院には、ボッティチェッリの弟子であったフィリッピーノ・リッピの代替作(1496年、258cm×243cm)が納品されました。今はこの代替作も、ウフィツィ美術館で見ることができます。フィリッピーノ・リッピは、レオナルドの《マギの礼拝》を参考にしていたでしょうから、これらの作品を比較してみるのも興味深いところです。
また、時期的にはレオナルドの《マギの礼拝》に先行しているボッティチェッリの《マギの礼拝》(1475-76年、111cm×134cm)、さらに時代をさかのぼれば、ロレンツォ・モナコの《マギの礼拝》(1420-22年)、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの《マギの礼拝》(1423年) を、いずれもウフィツィ美術館で鑑賞することができます。
ついでながら、ボッティチェッリの《マギの礼拝》では、絵に向かって右端に、鑑賞者のほうを見つめている感じの人物が描かれていますが、これが画家自身のようです(注5)。このように、自分の絵の中に自画像のような人物を描くということは時々見られますが、その場合、鑑賞者を見つめる人物として描くという仕方もしばしばあるようです。
最初にも書きましたが、ウフィツィ美術館では、《マギの礼拝》にひとつの焦点を当て、相互に比較するというのも興趣が尽きないところでしょう。
(注1) 田中英道『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(講談社学術文庫、1992年。元の版は、新潮社、1978年)参照。田中氏は、レオナルド作品の「三王」(三博士)がどれなのかよくわからず、「フィレンツェの美術史図書館に行き多くのこの図に関する研究論文を参照してみたが、〔中略〕まちまちに述べられていて誰も明言していなかった」(97頁)と書いています。
(注2) 池上英洋監修『レオナルド・ダ・ヴィンチを旅する 没後500年』(『別冊太陽』平凡社、2019年、64頁。
(注3) 同書、65頁。
(注4) 東京造形大学ダ・ヴィンチ・プロジェクト『よみがえるレオナルド・ダ・ヴィンチ 作品復元プロジェクト』東京美術、2020年、40頁。
(注5) ヴァザーリ『ルネサンス画人伝』(平川祐弘訳、白水社、1982年)のボッティチェルリの項の訳註16参照。
お断り:これまで、この「読み物」サイトで過去の絵画の写真などを掲載するときには、net上のpublic domain の写真を拝借していました。しかし、拝借した写真が、この「読み物」サイトでは写真として表示されない場合が多くなったことに、ごく最近気づきました。
とはいえ、写真がない状態で絵のことについて書いても、「読み物」の内容にご興味を感じていただくのは難しいと思います。そこで、写真を参照したいという場合は、例えば、
レオナルド・ダ・ヴィンチ 東方三博士の礼拝
と検索していただくのがよいと思います。
投稿者プロフィール

- イタリア大好き人間。趣味は読書・旅行・美術鑑賞・料理(主にイタリアン)。「フィレンツェ・イン・タスカ」に不定期に寄稿。
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