アルノ川大氾濫と修復
フィレンツェ大洪水60年
2026年は、東日本大震災から15年目に当たります。フィレンツェを流れるアルノ川が大氾濫を起こしたのが1966年11月4日でしたから、今年はその60年目に当たります。
20年以上前、私がはじめてフィレンツェに行ったときのことです。数人で、旧歴史地区内のあるレストランに入って食事をしたのでしたが、その店の壁にある印のようなものがあるということに話が及びました。それは、かつてフィレンツェで大洪水が起こったとき、ここまで水が来たという印だとのことでした。それは、信じられないような高さのところにあったのです。
街の中にも、洪水時の水位を示す標識があります。この写真は、ウフィツィ美術館とドゥオーモのちょうど中間あたりの通りの壁面、地面から140cmほどの高さのところに設置されたもの。アルノ川から400メートルほど隔たった場所です。イタリア語で、
「1966年11月4日、アルノ川の水はここまで到達」
と刻まれています。
気をつけて見ていないと気づかないかもしれませんが、この種の標識はフィレンツェ旧市街の多くの場所に付けられています。また、ここでの写真に関しては、地面から140cmほどのところの標識と書きましたが、比較的低い場所では、4メートルを超える水位に達したところもあったことも書き添えておきます。

映画『輝ける青春』
ちょうどその頃、『輝ける青春』(2003年、366分)というイタリア映画が日本でも上映されました。その映画のなかに、フィレンツェ大洪水の場面が出てきて、私はフィレンツェのレストランでの話を思い出したのです。
この映画には、北欧を旅行中だった登場人物のひとりが、フィレンツェの大洪水の映像をテレビで見て衝撃を受け、急遽フィレンツェに駆けつけ、救助・復旧活動に加わる場面がありました。
20年以上前に見た映画ですけれども、多くの人びとが復旧活動に参加している様子、とりわけ若者たちが泥のなかから美術館などの美術品や古文書を引き上げている様子は今も印象深く残っています。こんなに多数の人が救助・復旧活動に参加していたのかという思いを強くもったものです。
ドナテッロ《マグダラのマリア》
洪水との関わりでは、フィレンツェのドゥオーモの隣にあるドゥオーモ付属美術館で見たドナテッロの木造彫刻《マグダラのマリア》像は印象深いものでした。
ドナテッロ(1386〜1466)の作品といえば、バルジェロ美術館所蔵の《ダヴィデ》像(青銅、1440年頃)が連想されますが、この《マグダラのマリア》像は、もう少しのちの1453-55年頃、つまり、ドナテッロ晩年の作品です。
マグダラのマリアは、若い女性像として形象化されることが多いと思いますが、ドナテッロのこの《マグダラのマリア》像は、高齢の姿で、しかも身にまとった衣服はこの上なくみすぼらしい。けれども、苦行の結果を示していると思われるその姿からは、ある種の精神性が感じられます。
この作品は、1966年のアルノ川大氾濫の際に、水浸しになったとのことですが、修復され、よみがえりました。
なお、ウフィツィ美術館前には、フィレンツェゆかりの芸術家や著名人28人の肖像彫刻が並んでいて、その中にはドナテッロも含まれています。

保存修復技法の発展
1966年のフィレンツェ大洪水は、芸術・歴史史料の保存という観点からも、大きな画期となりました。
田口かおりさんの『保存修復の技法と思想』(平凡社、2015年。改訂版=平凡社ライブラリー=HL版、2024年)には、このことにふれた記述があります。
「フィレンツェを襲った大災害は、チマブーエ《磔刑》をはじめとする数多くの貴重な文化財を水浸しにし、破壊し、致命的な損害を与えた。文化財の大規模被災と救出作業は、その後のイタリアを中心とした西洋の文化財保存修復のあり方を決定づけ、「洪水前、洪水後」という言葉を生み出す。「フィレンツェを救え」を合言葉に各国から集合した専門家たちが協力し合うなかで、保存修復学は規模の大きな被災や被害へ対処するための「マス・コンサヴェーション(大規模な保存)」へむけて、理論や技術を改革していった。」(HL版298頁、注18。ただし、引用文中のイタリア語は省略)
田口さんのこの本によれば、フィレンツェ大洪水のあと、1975年まで「作品救済プロジェクト」が実行されたといいますが、この時には、著名な修復士の監督下において、「世界各国から多数の専門家が」集まり、「早急な剥落止めの処置から長期にわたる作品メンテナンスに至るまで、数々の実験的試みを経て飛躍的に発展した分析法や洗浄技術」(HL版40頁)がその後に残されたとのことです。
なお、アルノ川の氾濫に関しては、1966年の大洪水の後、さまざまな対策・工事が行われ、その後には洪水は見られなくなっています。
レンブラントの《夜景》
田口さんのこの本は学術書・専門書ですが、田口さんには中学生でも読めそうな『みんなの研究 絵画をみる、絵画をなおす 保存修復の世界』(偕成社、2024年)という著作もあります。
この本は1996年に15歳の田口さんが最初にイタリアに行った話から始まっています。それによると、フィレンツェでのフラ・アンジェリコの壁画《受胎告知》との感激的な出会いが保存修復の世界に進むきっかけになったとのこと。
この本には、興味深い話がいろいろ詰まっていますが、そのなかのひとつに、レンブラント・ファン・レイン(1606〜69)の絵画《夜警》に関する話があります(フィレンツェの話ではありませんが)。
この《夜警》は、いろいろな事情で「こまめに修復がおこなわれて」きたといいますが、「修復につかわれた材料が、作品の色をもとより暗くしてしまった、というできごともありました。」長くなりますけれど、もう少し引用させてもらいます。
「見てのとおり、《夜警》には「夜」という言葉が入っていますが、これは作品が夜の風景を描いたものであるかのように暗いという理由で、あとからつけられた「通称名」です。もともとの舞台では夜ではなかったのに、作品を保護してかがやきをとりもどすためにぬりかさねられたワニスが変色していき、ほこりもまきこみ、どんどん暗くなって、作品の見ためが変わっていったのです。
《夜警》の歴史がわたしたちに教えてくれること。それは、たとえ作品をまもるためにおこなったはずの修復であっても、残念な結末につながってしまう例もある。だからよくよく気をつけて考えないといけないよ、ということにつきるかもしれません。」(106-07頁)
というのです。修復という観点からの明快な記述です。
レオナルド・ダ・ヴィンチの《東方三博士の礼拝》の修復
修復という観点から話題になった絵画のひとつに、ウフィツィ美術館所蔵のレオナルド・ダ・ヴィンチ《東方三博士の礼拝》があります。
この作品は、画面が黒ずんでいて鮮明さに欠けていたため、従来はあまり注目されてはいませんでした。しかし、2011年から6年の歳月をかけて修復がおこなわれた結果、驚くほど細密な世界が現れたというのです。
「日本経済新聞」(2019年8月18日)にこのレオナルド作品に関する記事がありました。アイケ・シュミット館長が絵の前に立って、解説してくれたとのこと。
「もともとは人の顔が20人ほどしかわからなかったのですが、なんと79人もいたのです。すごいのは表情がそれぞれ異なること。フィレンツェを歩いて出くわす顔といってもいいですね。動物も20体見つかっています」
という具合です。
20人ほどしかわからなかった顔が79人も見えるようになったというのですから、修復前の汚れの程度もうかがえるというものです。
このように、修復によってよみがえる作品にも、じつに興味深いものがあります。
ついでながら、同じくウフィツィ美術館所蔵のレオナルド作品《受胎告知》も、今世紀のはじめに修復がおこなわれたとのことですが、こちらの修復はごく限定的なものだったようです。
レオナルドの《東方三博士の礼拝》については、次回にもう少し説明させてもらいます。
投稿者プロフィール

- イタリア大好き人間。趣味は読書・旅行・美術鑑賞・料理(主にイタリアン)。「フィレンツェ・イン・タスカ」に不定期に寄稿。
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