サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

サンタマリアノヴェッラ教会

概観

 後期中世からルネサンス時代のフィレンツェでは、信心深いフィレンツェ人たちが自らの財産を宗教的な支援(パトロネージ)に使用しました。そして、有力な家門が教会を財政的に支援したり、教会のなかに私的な礼拝堂を確保したりしたのです。聖書では、商人はあまり高く評価されない職業ですから、フィレンツェの有力商人たちは、積極的に教会に寄進をしようという打算的な考えがあったとみればわかりやすいでしょう。

 そういう教会の代表が、ドメニコ会のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会であり、フランシスコ会のサンタ・クローチェ教会ですが、このサンタ・クローチェ教会については機会を改めてお話します。

 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会には、有力な家門が後援して、家族礼拝堂が設置されました。この教会のなかに、ストロッツィ礼拝堂とか、いろいろな礼拝堂があるのは、そういう事情によるのです。

 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会内部や、家族礼拝堂には、それぞれに彫刻や絵画などが配置されていて、じつに多様です。そこにあるのは、ブルネレスキの「十字架像」、ギルランダイオの「洗礼者ヨハネ伝」、マザッチョ作の「三位一体」、フィリッピーノ・リッピ(フィリッポ・リッピの息子)の「聖ヨハネとピリポ伝」、ルネサンス絵画の祖ともいえるジョットの「十字架像」などです。

サンタマリアノヴェッラ教会内部

 ファサード

 富豪のなかには、教会の外観の美化に援助する人物もいて、ある人は、「万能の人」の最初の典型といわれたアルベルティ(1404〜1472)に、この教会のファサード(正面部分)の設計を依頼しました。こうして、美しく調和したファサードができあがったのです。そのファサードを観察すると、円や四角形が、対称と比例によって秩序ある幾何学図形をなしていることがわかります。

 この建築学上の手法は、古代ローマに見られたものですが、アルベルティはこれを活用し、その規則に対して「秩序(オーダー)」という名称を付与しています。この「オーダー」という考えをキー・ワードにしてフィレンツェの建築をながめるのも興味深いものです。たとえば、フィレンツェのシンボルともいえるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)の側面をながめてみるのもよいでしょう。

 広場とライトアップ

 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の入口側は南向きになっており、その南側にはサンタ・マリア・ノヴェッラ広場があります。キリスト教や騎士道、宗教劇とか説教などの式典の舞台になったところです。同じような広場は各地に見られますが、場所によっては、アトラクションの場となったり、農作物などを売る市場となったりした広場もありました。

 この教会の北側には、フィレンツェの玄関というべきサンタ・マリア・ノヴェッラ駅があります。その駅の側から夜になって教会を見ると、教会がライトアップされ、じつに素晴らしい光景です。15年ほど前、私が最初にフィレンツェを訪れたとき、夜になって空港に着きましたが、車でフィレンツェ市内に入って、最初に目に飛び込んできた光景が、この教会の姿でした。そのときの驚きと感動は、忘れられません。

 なお、この教会の近くには、17世紀に誕生したサンタ・マリア薬局があり、お土産品を探すにはおもしろいかもしれません。

投稿者プロフィール

藤尾 遼
藤尾 遼
イタリア大好き人間。趣味は読書・旅行・美術鑑賞・料理(主にイタリアン)。「フィレンツェ・イン・タスカ」に不定期に寄稿。

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