カラヴァッジョ(その7)
フィレンツェとカラヴァッジョ作品
カラヴァッジョとフィレンツェの関係といえば、1592年にミラノからローマに移ったとき、彼がフィレンツェに立ち寄った可能性はあります。彼がフィレンツェを舞台に活動したという形跡はないのですが、フィレンツェのウフィツィ美術館には、カラヴァッジョ作品が3点遺されています。それは以下の比較的初期の作品です。

《バッカス》(1595年頃、95×85cm)

《メドゥーサ》(1597-98年、60×55cm)

《イサクの犠牲》(1601-02年頃、104×135cm)
カラヴァッジョは、ローマでデル・モンテ枢機卿の庇護を受けるようになったのですが、デル・モンテ枢機卿は、当時フィレンツェを支配していたトスカーナ大公フェルディナンド1世(メディチ家の当主)の友人でした。カラヴァッジョの《バッカス》と《メドゥーサ》は、枢機卿が大公に贈呈したものだと考えられているのです。
フィレンツェのウフィツィ美術館は、もともとメディチ家所有の美術品を収めていたところでしたから、ウフィツィ美術館にこれらの作品が遺されていてもふしぎではありません。
なお、ピッティ宮殿の美術館・パラティーナ美術館には、カラヴァッジョの《眠るアモール》があります。

《眠るアモール》(1608年、72×105cm)
背景としての聖書とギリシャ神話
カラヴァッジョ作品の多くは、聖書やギリシャ・ローマの神話を前提にしていますので、その方面の知識を得ておけば、絵画作品鑑賞の助けになります。
カラヴァッジョよりもっと以前に描かれた絵画、ことに宗教画の場合、マリアはこう描くとか、いろいろな約束事があったので、その約束事が分からないと絵画鑑賞も難しいという面があります。しかし、カラヴァッジョの場合は、そういう約束事にむしろ挑戦して取り払っているところがあります。とはいえ、最低限の知識は必要です。
ここでは、フィレンツェのウフィツィ美術館所蔵のカラヴァッジョ作品、つまり、
《バッカス》《メドゥーサ》《イサクの犠牲》に関連してだけ書いておきます。
「イサクの犠牲」は、むろん『旧約聖書』冒頭の「創世記」22章に出てくる話です。
ウフィツィ美術館所蔵作品ではありませんが、カラヴァッジョの《聖トマスの不信》(1602-03年頃)は、『新約聖書』「ヨハネによる福音書」20章27 に書かれたシーンを絵画化した作品です。
「バッカス」は、ローマ神話に出てくるワインの神だということはご存知と思います。ラテン語ではBacchusですから、バックス。バッカスは英語的表記です。さかのぼれば、ギリシャ神話のディオニュソスで、古代ギリシャでも酒の神、豊穣の神です。カラヴァッジョの《バッカス》では、ワインが描かれ、前方に盛られた果物にも、冠にしている植物にも、バッカスにまつわるブドウが描かれています。
「メドゥーサ」は、ギリシャ神話に登場する怪物で、ペルセウスによって首を切り落とされたとされます。カラヴァッジョの作品《メドゥーサ》は、2種類あるのですが、その1つについて、バリオーネ「カラヴァッジョ伝」(1642年)は、この連載の(その3)でもふれたように、「マムシの髪をもち、恐ろしい形相をしたメドゥーサの首を、円形の楯の上に描いた。この絵は、枢機卿からトスカーナ大公フェルディナンド〔一世〕に贈られた」(58頁)と記録しています。これを読めば、《メドゥーサ》が円形になっている理由も分かります。つまり、儀式盾に描かれたものというわけです。ちなみに、ここで「枢機卿」と言われているのは、デル・モンテ枢機卿で、ローマに出たカラヴァッジョの庇護者になった人物でした。
もっとも、この程度の「バッカス」や「メドゥーサ」の知識はごく初歩的な話で、この作品だけについてなら、神話に関する知識はさほど必要ないといえるかもしれませんが。
投稿者プロフィール

- イタリア大好き人間。趣味は読書・旅行・美術鑑賞・料理(主にイタリアン)。「フィレンツェ・イン・タスカ」に不定期に寄稿。
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