ピッティ宮殿とパラティーナ美術館
ピッティ宮殿
フィレンツェの統治者というと、メディチ家を思い出す人も多いでしょう。このメディチ家の統治は、1530年から約200年にわたって続きました。その本拠であったヴェッキオ宮殿(ドゥカーレ宮殿。ドゥカーレとは、総督という意味)では、式典や迎賓が頻繁に開かれ、手狭になったので、宮廷はアルノ川の対岸近くのピッティ宮殿に移しました。コジモ一世は、その権威を誇示するため、宮殿の建築や内装を芸術家にゆだね、画家や彫刻家が多用されました。
先に書きましたように、ヴェッキオ宮殿とピッティ宮殿の間は、メディチ家の人びとが地上を歩かず、他のひとと接することなく往復できるよう、「ヴァザーリの回廊」でつなげられました。
このピッティ宮殿は、もともとはピッティ家の私邸でしたが、コジモ一世の妃が買い取って改修したものです。その後も拡張が続き、19世紀半ばまで、歴代のトスカーナ大公の宮廷となりました。その歴代の大公の美術コレクションを公開しているのが、パラティーナ美術館です。
この建造物は、フィレンツェの他の建築と比べると規模が大きく、圧倒的な印象を与えます。その正面に向かって右手がパラティーナ美術館になっています。
パラティーナ美術館
この美術館では、非常に多くの絵画が所狭しと並んでいますし、室内装飾や調度品もすばらしい。この美術館の絵画についていえば、ラファエロ作品とティツィアーノ作品が際立ちます。
当時の画家や芸術家は、有力な貴族などの依頼を受けて制作をしていましたから、依頼者の求めに応じて、都市から都市へと移動しました。レオナルドやミケランジェロもそうでした。ラファエロも、一時期はフィレンツェで仕事をしていましたが、ほどなくローマに仕事の場を求めます。こうした移動のため、また、絵画・彫刻は持ち運びが比較的容易ですから、著名な芸術家の作品がいろいろな都市や国に散在することは珍しくありません。ティツィアーノはヴェネツィア派のもっとも有力な画家のひとりですが、その作品がフィレンツェではパラティーナ美術館に少なからず保存されています。
ラファエロ作品としては「小椅子の聖母」「大公の聖母」などの聖母像や「ヴェールの女」などの肖像画が、ティツィアーノ作品としては「マグダラのマリア」「若者の肖像」などが目を引きます。
ボーボリ庭園など
ピッティ宮殿の背後には、広大なボーボリ庭園があります。ここは、「トスカーナ地方のメディチ家の邸宅群と庭園群」として世界遺産に登録されたふたつの庭園のうちのひとつです。(ちなみに、ピッティ宮殿は、世界遺産「フィレンツェ歴史地区」の一角を形成しています。)ボーボリ庭園は、16世紀半ばに造営されたイタリア式庭園で、その後、ヨーロッパ各地における宮廷などの庭園のモデルとなったといわれています。自然の美と人工物とがほどよい調和をつくり出しています。
ピッティ宮殿には、大公たちの宝物庫(旧銀器美術館)などいくつかの博物館があります。そういう博物館に回るのも面白いかもしれません。
投稿者プロフィール
- イタリア大好き人間。趣味は読書・旅行・美術鑑賞・料理(主にイタリアン)。「フィレンツェ・イン・タスカ」に不定期に寄稿。
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