ウフィツィ美術館
フィレンツェにおける代表的な美術館がウフィツィ美術館です。この建物は、16世紀半ばに、コジモ一世が、建築家のヴァザーリに命じて作らせたものです。
ヴァザーリは、画家でもあり、ミケランジェロの弟子。ルネサンス期イタリアの画人伝を書いたことでも知られています。ウフィツィというのは、イタリア語でオフィスの意味です。当初ヴァザーリが建てたのは、行政機関を一箇所に集めるという目的の建築だったのです。コジモ一世のあとを継いだフランチェスコ一世が、この建物の上階をメディチ家所有の美術品を収める場所としました。これが、ウフィツィ美術館のはじまりです。
こうした経緯からもうかがえるように、この美術館の特色は、イタリア絵画の傑作を中心とする展示にあり、イタリア絵画の歴史をたどることもできます。世界中からたいへんな数の観光客の訪れる場所でもあります。
ちなみに、コジモ一世は、フィレンツェの大改造事業を手がけた政治家です。フィレンツェの都市景観は、このときに形成されたといえるでしょう。
展示作品
部屋ごとの展示品は、ガイドブックなどにゆだね、ここではごく一部だけ紹介するにとどめざるを得ません。
第一。フィリッポ・リッピの「聖母子と二人の天使」という清らかな印象の作品があります。リッピは、ボッティチェッリの絵画の師でもあります。
第二。ボッティチェッリの作品があります。「春」「ヴィーナス誕生」がその代表的な作品でしょう。池上俊一氏の『フィレンツェ』には、これらのボッティチェッリの作品は、「難しいことはわからなくても誰をも惹きつける「市民的エレガンス」とでも呼びうる魅力を備えている」と書かれています。言い得て妙、というところでしょうか。
第三。レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」です。「受胎告知」とは、天使がマリアに「受胎」を告げる場面のことで、いろいろな画家がこのテーマで描いていますが、この絵は、若きレオナルドの傑作です。低い姿勢でマリアに受胎を告げる天使の緊迫感が伝わってきます。
第四。若きラファエロの「ひわの聖母」があります。
その周辺
もともとはメディチ家のために作られたウフィツィ美術館は、政庁の置かれたヴェッキオ宮殿と上層階でつながっています。そして、ヴェッキオ宮殿を始点と考えれば、その通路は、ウフィツィ美術館上部を通り、アルノ川にかかるヴェッキオ橋(ポンテ・ヴェッキオ)の上層部分を形作る通路(「ヴァザーリの回廊」)を通って、ピッティ宮殿にまでつながっています。
「ヴァザーリの回廊」は、現在は工事中。火災対策で、非常口を設置する工事をしているようです。
アメリカの人気作家で、『ダ・ヴィンチ・コード』などで知られるダン・ブラウンに『インフェルノ』という作品があります。トム・ハンクスが主役のラングドン教授を演じて映画化もされました。この作品は、フィレンツェのボーボリ庭園から始まります。
ある事情で敵の攻撃にさらされたラングドン教授は、ピッティ宮殿の側から「ヴァザーリの回廊」を通って、ヴェッキオ宮殿の方に逃亡していきます・・・・・・
ポンテ・ヴェッキオは、フィレンツェの象徴のような場所のひとつで、いろいろな場所から眺めることができます。ですから、その橋の上を、ヴァザーリの回廊が通っているのだと知っておくと、眺めを一段と楽しむことができるかもしれません。
第二次世界大戦期、フィレンツェはドイツ軍に占領されました。その後、アメリカ軍がイタリアを北上してきたとき、ドイツ軍はフィレンツェのアルノ川に架かる橋をすべて爆破しようとしましたが、ポンテ・ヴェッキオだけは爆破を免れ、その美しい姿を今に残しています。
ダン・ブラウンの『インフェルノ』という題名は、ダンテの『神曲』地獄篇に由来しています。ダンテの家も、ウフィツィ美術館の比較的近くにあり、中を見学できます。
投稿者プロフィール
- イタリア大好き人間。趣味は読書・旅行・美術鑑賞・料理(主にイタリアン)。「フィレンツェ・イン・タスカ」に不定期に寄稿。
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