日本でのカラヴァッジョ展中止
この連載(その1)で、
「2021年3月24日から5月10日まで、東京・六本木にある国立新美術館で「カラヴァッジョ《キリストの埋葬》展」が開催予定となっています。これは昨秋開催予定だったものが、コロナ禍のために開催延期となっていたのです。」
と書いていたのですが、その後、国立新美術館から以下のような発表がありました。
「この度の新型コロナウイルス感染症が拡大している状況を受け、バチカンからの作品輸送が困難なため、本展覧会の開催は中止とさせていただくことが決定いたしました。開催を楽しみにしてくださった皆様には、ご迷惑をおかけいたしますこと、深くお詫び申し上げます。」
国立新美術館サイトより
じつに残念です。
しかし、このブログでの連載は、予定されていた《キリストの埋葬》展での展示作品について述べようという趣旨ではありませんので、今後も継続していきます。次回以降の連載原稿はすでに書きました。
今回、《キリストの埋葬》展中止をお伝えするだけでは、あまりに素っ気ないので、書きもらしていたローマのボルゲーゼ美術館のことを書いておくことにします。
ボルゲーゼ美術館
ローマにあるボルゲーゼ美術館は、カラヴァッジョ作品を6点所蔵しています。宮下規久朗氏によれば、美術館でのカラヴァッジョ作品所蔵点数としては最大だといいます。
この連載(その1)で、《ゴリアテの首を持つダヴィデ》(1610年、125×100cm)
を掲載しましたが、これがボルゲーゼ美術館所蔵作品のひとつです。この作品は、カラヴァッジョが没する1610年に描かれた作品。
上記の宮下氏によれば、この作品は「自画像を切断された首として表現したもので、画家の改悛の情を教皇の甥であるボルゲーゼ枢機卿に訴えるものであった可能性が高い」とのこと。加えて、このダヴィデも、若い頃の自画像だとする見方もあるとのことです。
ダヴィデといえばすぐに思い出すのが、ミケランジェロの《ダヴィデ像》(1501-04年、フィレンツェ、アカデミア美術館、高さ517cm)です。同じフィレンツェの市庁舎であるヴェッキオ宮殿前に、その複製が置かれています。同じダヴィデでも、ずいぶん違う印象です。
ダヴィデ像のことはさておき、逃亡中の身でありながら恩赦を求めてローマに向かうカラヴァッジョが、最後まで持っていた作品のひとつが、《洗礼者ヨハネ》だといいますが、これもボルゲーゼ美術館にあります。
Caravaggio, Public domain, via Wikimedia Commons
《洗礼者ヨハネ》(1610年頃、ローマ、ボルゲーゼ美術館、159×124cm)
カラヴァッジョ像
ボルゲーゼ美術館所蔵の他のカラヴァッジョ作品としては、これまた初期の自画像とみなされる《病めるバッカス》があります。《ゴリアテの首を持つダヴィデ》のゴリアテが晩年の自画像だとすれば、こちらは若き日の自画像ということになります。
Caravaggio, Public domain, via Wikimedia Commons
《病めるバッカス》(1594年、ローマ、ボルゲーゼ美術館、67×53cm)
ちなみに、カラヴァッジョの肖像としては、オッタヴィオ・レオーニの描いた作品があります。
Ottavio Leoni, Public domain, via Wikimedia Commons
オッタヴィオ・レオーニ《カラヴァッジョの肖像画》(1621年頃、フィレンツェ、Biblioteca Marucelliana)
現在のヨーロッパ通貨ユーロが流通し始めた2002年以前、ドイツ、フランス、イタリアではそれぞれ別の通貨を用いていました。イタリアの通貨単位は「リラ」でしたが、10万リラ紙幣の絵柄に、このレオーニによるカラヴァッジョの肖像画が用いられていたことがありました。
ボルゲーゼ美術館から離れますが、同じ紙幣に、カラヴァッジョの肖像と並んで《女占い師》(1595年頃、ルーブル美術館蔵、90×130cm)が、その裏面には《果物籠》といういずれもカラヴァッジョ作品が、絵柄として用いられていたのです。
Caravaggio, Public domain, via Wikimedia Commons
《果物籠》(1597年、ミラノ、アンブロジアーナ絵画館、31×47cm)
という次第で、イタリアではカラヴァッジョがいかに有名かの一端がおわかりいただけるでしょう。
ふたたびボルゲーゼ美術館
話をもどして、ボルゲーゼ美術館蔵のカラヴァッジョ作品の残る3点を掲げておきましょう。
Caravaggio, Public domain, via Wikimedia Commons
《果物籠を持つ少年》(1594年、67×53cm)
Caravaggio, Public domain, via Wikimedia Commons
《聖アンナと母子像》(1605-06年頃、292×211cm)
Caravaggio, Public domain, via Wikimedia Commons
《執筆する聖ヒエロニムス》(1606年、112×157cm)
この記事のはじめのほうに、カラヴァッジョの「改悛の情を教皇の甥であるボルゲーゼ枢機卿に訴える」作品ということばを引用しましたが、このボルゲーゼ枢機卿というのが、1605年に枢機卿になったシピオーネ・ボルゲーゼで、その叔父カミッロ・ボルゲーゼが教皇パウルス5世です。シピオーネが、積極的に絵画収集に乗り出したのが、カラヴァッジョのローマ時代に当たります。カラヴァッジョ作品に着目したボルゲーゼ枢機卿の集めた作品が、今はボルゲーゼ美術館に残された、という経緯をたどりました。
それらの作品の入手経過はさまざまですが、一例はつぎのようです。
ここに掲げた《聖アンナと母子像》は、元来は教皇庁馬丁組合の注文で描かれ、サン・ピエトロ大聖堂内に設置されたのですが、組合側にこの絵に対する反発があったとのことで取り外され、それをボルゲーゼ枢機卿が手に入れたというのです。
この連載(その3)でも書いたことですが、カラヴァッジョ作品に反発する人びともいれば熱中する人もいたことが、ここでもうかがえます。
2021.1.30

藤尾 遼

最新記事 by 藤尾 遼 (全て見る)
- フィレンツェのドゥオモ(3) - 2023年4月3日
- フィレンツェのドゥオモ(2) - 2023年3月9日
- フィレンツェのドゥオモ(1) - 2023年1月29日
コメントを残す