カラヴァッジョ(その5)
サン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂
ローマのサン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂コンタレッリ礼拝堂の側壁には、カラヴァッジョの公的なデビュー作が掲げられています。向かって左手に《聖マタイの召命》、右手に《聖マタイの殉教》です。

《聖マタイの召命》(1599-1600年、ローマのサン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂コンタレッリ礼拝堂、323cm×343cm)

《聖マタイの殉教》(1599-1600年、同所、323cm×343cm)
これについて宮下規久朗氏は、この「連載」の最初にふれた『カラヴァッジョ巡礼』で、「1600年、このサン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂コンタレッリ礼拝堂の側壁の2点が公開されたとき、黒山の人だかりができたというが、今や世界中のカラヴァッジョ・ファンが押し寄せる聖地となっている」(7頁)と書き、また、「この斬新な宗教画により、カラヴァッジョの名は一朝にしてローマ中に轟いた」(50頁)と書いておられます。
宮下氏はまた、この絵を中心に論じた『カラヴァッジョ《聖マタイの召命》』を書きましたが、その中で、この《聖マタイの召命》と《聖マタイの殉教》について、「カラヴァッジョをローマ画壇の中心に押しあげただけでなく、まさにバロック美術の幕開けを告げたのです」(62頁)と書いています。
側壁のこの2作品の2年後には、カラヴァッジョに《聖マタイと天使》を描くようにという注文がありました。その《聖マタイと天使》が、側壁の2作品に挟まれる形で、中央に設置されています。
ちなみに、マタイというのはイエスの12使徒のひとりで、レオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》にも描かれた人物です。「マタイの召命」は、『新約聖書』「マタイによる福音書」9章9の記事によるものです(また、「マルコによる福音書」2章14にも、同じ趣旨の記事が出ています)。
「カラヴァッジョ伝」にうかがえる賛否両論—《聖マタイと天使》
この連載(その3)で、カラヴァッジョ作品に賛否両論があったことにふれましたが、同様の事態をもう一例ご紹介しましょう。それは、今ふれた《聖マタイと天使》という作品です。
この《聖マタイと天使》という作品には、2つのヴァージョンがあるのです。
第1ヴァージョン、第2ヴァージョンという2つの異なったヴァージョンが成立した経緯について、石鍋真澄氏の『カラヴァッジョ伝記集』収録のジョバンニ・ピエトロ・ベッローリ「カラヴァッジョ伝」(1672年)に出てくるところを見ていきましょう。
まず、カラヴァッジョが最初に描いた《聖マタイと天使》、つまり「第1ヴァージョン」について、ベッローリはつぎのよう述べています。

《聖マタイと天使》(消失)(1602年、ベルリン、カイザー・フリードリヒ美術館旧蔵、223×183cm)
聖マタイの絵を完成して、それを祭壇に据えたところ、この人物は脚を組んで座ったり、無作法にも人々の前に素足をさらしたりしており、品位もなければ、聖人らしくもないとの理由で、神父らによって取り払われてしまった(76頁)
ベッローリは、このあと、カラヴァッジョが大いに落胆したと書いています。しかし、ある侯爵(ジュスティニアーニ侯)が仲介役を買って出て、第1ヴァージョンを自ら引き取り、同じ主題でもう1枚描かせたというのです。これが第2ヴァージョンで、今も祭壇上で見ることができるものです。

《聖マタイと天使》(1602年、ローマ、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂コンタレッリ礼拝堂、292×186cm)
さて、小見出しの「賛否両論」ですが、この第1ヴァージョンが描かれた当時、これを「品位」がないとする意見と、それを引き取る侯爵がいたわけです。
ただし、ここに書いた第1ヴァージョンと第2ヴァージョンの関係については、伝承に過ぎないとして、別の解釈もあるようです。(それについて関心のある方は、宮下規久朗『カラヴァッジョ《聖マタイの召命》』84頁以下、にまとめられていますので、それをお読みください。)
話を戻して、この絵の「品位」をどう考えますか。
《聖マタイと天使》 2つのヴァージョンのどちらが優れているか
この第2ヴァージョンについて、ベッローリは、「福音を記す聖人に自然な姿勢をとらせるのに、彼〔カラヴァッジョ〕は聖マタイを、床几の上で片方の膝を曲げ、両手を小机の上に置いて、書物の上のインク壺にペンを浸している姿で描いたのである。」(76-77頁)と書き、まだ続くのですが、作品がどのような形で描かれているかの説明はしていても、その評価については特にはふれていません。
さて、第1ヴァージョンと第2ヴァージョンを比較してみると、いかがでしょうか。第1ヴァージョンは、「品位もなければ、聖人らしくもない」のでしょうか。また、絵画としてどちらに魅力を感じるでしょうか。
なお、この第1ヴァージョン自体は、19世紀になってベルリンの美術館に移されましたが、第2次世界大戦期の1945年に消失してしまったとのことです。
投稿者プロフィール

- イタリア大好き人間。趣味は読書・旅行・美術鑑賞・料理(主にイタリアン)。「フィレンツェ・イン・タスカ」に不定期に寄稿。
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