フラ・アンジェリコの《受胎告知》
前回みたサンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂のすぐ近くに、サン・マルコ美術館(修道院)があります。
この修道院の修道士の有名人はふたり。ひとりはサヴォナローラ(1452-98年)です。少し時間をさかのぼらせますが、以前には共和制をとっていたフィレンツェは、15世紀前半からメディチ家による寡頭体制になっていました。
マキャヴェッリはかれの『フィレンツェ史』(原本=1525年。岩波文庫・下巻)の末尾で芸術家のパトロンでもあった「豪華王」ロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)を誉めちぎっていますが、そのロレンツォは1492年に没します。
その後まもない1494年、フランス王シャルル8世がナポリ遠征を企て、イタリアに侵攻します。フィレンツェでは、ロレンツォの長男のピエロ・ディ・メディチがフィレンツェの統治者となっていました。ピエロは、フランスに有利な盟約を結んだため、これがフィレンツェ市民の反感を買い、メディチ家はフィレンツェからの追放の処分を受けます。そして、短期間ではありましたが、政治顧問となったサヴォナローラによる神権政治体制(1494-98年)が生まれたのです。
フラ・バルトロメオ《サヴォナローラ像》
もうひとりが、ベアト・アンジェリコ(1390/95年頃-1455。フラ・アンジェリコとも。フラは修道士を意味する)です。こちらは、サヴォナローラと異なり、敬虔な修道士・画家だったとのことです。時代的にも、アンジェリコのほうが半世紀ほど前に当たります。
サン・マルコ美術館の1階から階段を昇っていくと、アンジェリコ《受胎告知》がみえます。
階段に面したフラ・アンジェリコ《受胎告知》
サン・マルコ美術館(フィレンツェ) 1437/46年 フレスコ 230cm×321cm
この美術館(僧坊)の2階には、40を超える僧坊(小部屋)が並んでいて、そのなかにアンジェリコとその弟子たちの描いた絵が残されています。同じ2階には、コジモ・デ・メディチ(1389-1464)専用の房もありました。(コジモは、ロレンツォ・デ・メディチの祖父です。)
僧坊にあるフラ・アンジェリコ《受胎告知》
サン・マルコ美術館(フィレンツェ) 1440-42年 フレスコ 176cm×148cm
アンジェリコは、生涯で15枚近くを数えるほどの《受胎告知》を描いている(岡田温司・池上英洋『レオナルド・ダ・ヴィンチと受胎告知』89ページ)とのことですが、それはともかく、サン・マルコ美術館の2枚を比べてみましょう。(便宜的に、階段画・僧坊画とします)
まず、絵のサイズが大きく違いますが、それは絵が置かれた場所と関係しているでしょう。僧坊は、ひとりの修道士が祈りを捧げる瞑想の場所で、簡素そのもののような場所ですから、そこに描かれた僧坊画の構図も簡潔です。ガブリエルの後ろには、聖ドミニクスが瞑想しているような姿で立っています。これに対し、階段画は、僧院のなかの、あるいは僧院を訪問する多数の人が目にする場所、つまり僧院内の<公共>空間に置かれていますから、天使ガブリエルの背後には花々が描かれ、開廊も念入りに描かれて、横に広いのも特徴的です。

藤尾 遼

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