これまで7回にわたり、ティツィアーノについて、その裸体画、肖像画を中心に述べてきました。フィレンツェに残る作品を中心にと考えたのですが、ふり返ると、フィレンツェ以外に残る作品にもふれました。
ティツィアーノは、その生涯を主にヴェネツィアですごしていたわけですが、その作品はヴェネツィア以外にも数多く伝えられています。いろいろな地の権力者の肖像画などを数多く描いたという経歴を考えれば、作品がヨーロッパ各地に点在しているのは当然ではあります。
では、ヴェネツィアにはどういう作品が残されているかといえば、その筆頭にくるのがつぎの作品です。ティツィアーノは、裸体画・肖像画だけでなく、宗教画も大いに描いていたことがよくわかります。
ティツィアーノの傑作《聖母被昇天》
ティツィアーノ《聖母被昇天》
Titian, Public domain, via Wikimedia Commons
サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂 1516-18年 668cm×344cm
この聖堂の主祭壇にある、7メートル近い巨大な油彩画で、ティツィアーノにとって重要な最初の宗教関係の委嘱作品、若きティツィアーノの傑作です。この絵の上部には、光を浴びて上昇していく聖母とそれを迎える父なる神が描かれ、地上にはこの奇跡を見やる使徒たちの驚愕の姿、祈りの姿が描かれています。
赤い服を着たふたりの使徒を底辺に置けば、その頂点にマリアがいる三角形ができる構図です。その頂点が天上に向かっていく感じですが、この絵の上部が円形として描かれ、上昇感が際立ちます。
この作品によって、ティツィアーノは、ヴェネツィアにおける芸術的卓越性を決定づけたのでした。
宮下規久朗氏『ヴェネツィア』での説明を拝借しますと、「黄金に輝く天に向かって恍惚とした表情で昇って行く聖母や、大きな身振りによってそれを見送る弟子たちの力強い動作に目を奪われる。この大きな身振りや強烈な明暗、聖母の上昇感などによって、ティツィアーノの得意とするダイナミックで劇的な場面が生まれている。しかも、この動きに満ちた構図を、赤や黄金色を基調とした豊かな色彩でまとめあげ、見る者を恍惚とさせる圧倒的なドラマに仕立てたのであった。」ということになります。
このフラーリ聖堂こそヴェネツィア観光の最重要なスポットだとする宮下氏は、この聖堂の内部の諸作品についてやや詳しく述べていますので、関心のあるかたは、ぜひ参照してください。
サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂とその内部
Santa Maria Gloriosa dei Frari, CC BY-SA 4.0
Santa Maria Gloriosa dei Frari, CC BY-SA 4.0
《ペーザロの祭壇画》
ティツィアーノ《ペーザロの祭壇画》
Titian, CC BY-SA 4.0
サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂 1526年 478cm×268cm
この絵の題名は、《聖会話とペーザロ家の寄進者たち》ともいわれますが、ヴェネツィアの貴族ヤコポ・ペーザロによるトルコ軍撃破を感謝し、それを記念するために描かれたものです。「ペーザロは聖母の前にひざまずく姿で描かれ、そのうしろには、甲冑姿の旗手に引かれたトルコ人の捕虜が描かれている。聖ペテロと聖母は慈悲深くペーザロを見下ろしている。」(ゴンブリッジ『美術の物語』)
ゴンブリッジによれば、この絵では、「前代未聞のことが行なわれている」といいます。それは、「聖母を絵の中心からずらして」しまっていることなどです。そして、「ミケランジェロのデッサン力に匹敵する」「絵の具使いの抜群の技術があったからこそ、彼は昔から尊重されてきた構図の決まり事をすべて無視することができたし、一見破壊したかに見える統一感を、色彩によって取りもどすことができたのだ」と説明しています。
マリアの視線の先にひざまずいている寄進者のヤコポ・ペーザロ。その上部にはペーザロ家の紋章が縫い込まれた旗。この紋章部分は、マリアの顔と同じ高さになっています。紋章とマリアの顔を底辺とする三角形を上部に描けば、その頂点に天使が来る構図になります。つまり、聖母を絵の中心からずらして「昔から尊重されてきた構図」を無視したのですが、別の形の構図に置き換えたといえるでしょう。
そのほか
サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂とは別に、ヴェネツィアの観光名所のひとつリアルト橋近くにあるサン・サン・サルヴァドール聖堂には、つぎの絵があります。
ティツィアーノ《受胎告知》
Titian, CC BY-SA 4.0
サン・サルヴァドール聖堂(ヴェネツィア) 1559-64年 403cm×235cm
この《受胎告知》は、「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展(2016年7-9月、国立新美術館)の折に展示されました。
受胎告知といえば、岡山県倉敷市の大原美術館にも、エル・グレコの《受胎告知》のうちの1枚がありますし、《受胎告知》を描いた絵画は数知れません。《受胎告知》については、ティツィアーノについての話題とは別に、回を改めて述べたいと思います。
おわりに
以上、8回にわたってティツィアーノについて述べました。
コロナ禍が収束しましたなら、どうぞフィレンツェやヴェネツィア、そしてイタリアへの旅を楽しむことができますように。

藤尾 遼

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