【2】フィレンツェ市内でメディチ家に関連するところ
②ヴェッキオ宮殿
1299年から1314年にかけて建設されました。フィレンツェの政庁舎として使われましたが、メディチ家が所有していた時期(1540年〜49年)もあります。1549年、メディチ家の本拠はピッティ宮殿に移りました。
ヴェッキオ宮殿は、ウフィツィ美術館のとなりに位置し、またシニョリーア広場に面しています。この広場は、いつ出かけても、たいへんなにぎわいの場所です。
《ヴェッキオ宮殿》
ヴェッキオ宮殿の前には、ミケランジェロの彫刻《ダヴィデ》の模刻も置かれています。
この宮殿自体は、「メディチ家の館と庭園」という世界遺産には含まれていませんが、「フィレンツェ歴史地区」という世界遺産の一角です。
ヴェッキオ宮殿「ミケロッツォの中庭」の回廊には、柱の上にメディチ家の紋章が残されています。
「レオ十世の間」は、メディチ家の家系の礼賛を目的としたところで、人物の肖像などがあります。レオ十世(1475〜1521)というのは、メディチ家出身のローマ教皇で、本名はジョバンニ・デ・メディチですから、メディチ家の勢いがわかろうというものです。
ラファエロ《レオ十世と二人の枢機卿》
③サン・ロレンツォ聖堂
ここは、イタリア最古の教会のひとつ。有名な建築家ブルネレスキが、メディチ家の依頼で改築したところで、「メディチ家の家族教会」のようになりました。
このサン・ロレンツォ聖堂に付属するのが、メディチ家礼拝堂です。このうちの、新聖具室は、ミケランジェロの設計による(礼拝堂建設着手が1521年)。そのなかに、「メディチ家の墓碑」を頂点とするミケランジェロ制作の彫刻群が収められています。
この礼拝堂の床面も、色大理石が使われ、豪華なものです。
④メディチ・リッカルディ宮殿
ここは、元来はパラッツォ・メディチ(メディチ宮殿)といわれていたルネサンス様式の建築ですが、17世紀半ばにリッカルディ家に売却されたため、現在ではメディチ・リッカルディ宮殿と呼ぶのが一般的です。
この宮殿は、メディチ家のフィレンツェ支配を確立したコジモ・デ・メディチが、1445年頃に着工したところですが、しばらく中断し、1459年から60年頃に竣工となったと思われます。
この建物の中にあって今も残る作品が礼拝堂の壁画であり、それはゴッツオリ(フラ・アンジェリコの弟子に当たる)の描いた「東方三博士礼拝」です。
ゴッツオリ《東方三博士礼拝》
この壁画の歴史的背景としては、1439年にコジモが、ギリシャ正教とローマン・カソリック教会の統一公会議をフィレンツェに誘致したことがあります。東方的要素がイタリアに入り込み、「ルネサンス」開花を大きく推進した事件だったのです。
前川久美子さんの『巡礼としての絵画 メディチ宮のマギ礼拝堂とゴッツオリの語りの技法』は、この《東方三博士礼拝》を詳細に分析した著作です。
また、美術史家の若桑みどりさんの説明を借りますと、「この画面はメディチの大家族肖像画であり、栄光ある彼らの歴史」であり、「ここにはメディチ家の理想とする全世界が表現されていると言える。それは全盛時代にあったメディチ家の豪華な気分の溢れた壁画であった。」(若桑みどり『フィレンツェ』)というわけです。
ついでながら、メディチ・リッカルディ宮殿のすぐ近くにサン・マルコ美術館(修道院)があります。この修道院が荒廃していた時期がありましたが、その再建資金を提供したのは、コジモ・デ・メディチで、再建が成ったのは1443年でした。
⑤ピッティ宮殿
ここは、メディチ家のライバルだったピッティ家が建設を始めたところでしたが、建設が放棄されました。のちにメディチ家のコジモ一世がこれを入手し、建物を完成させ、メディチ家の拠点となったのです。
《ピッティ宮殿》
1743年、メディチ家の最後の人間となったアンナ・マリア・ルイーザは、ピッティ宮殿に75歳で没しました。この宮殿には、メディチ家が300年にわたって蓄積してきた厖大な財産──宮殿、絵画、彫刻、家具調度など──が残されました。それらは、フィレンツェから持ち出されてはならないという条件の下に大公に委譲されたのです。
現在、この宮殿の一角に、パラティーナ美術館(ピッティ美術館)があり、メディチ家の蒐集した絵画などが収められています。多数の部屋の壁が、ルネサンス期からバロック期にかけての名画で埋め尽くされていると言ってもよいところです。
⑥ボーボリ庭園 Giardino di Boboli
ここは、世界遺産に登録された「メディチ家の館と庭園」の一部をなす場所で、ヴェッキオ宮殿やウフィツィ美術館のあたりから、ヴェッキオ橋を渡って歩いて行けるところですから、出かけるのは容易です。
《ピッティ宮殿の後ろ側に当たる広大なボーボリ庭園》
ダン・ブラウンの『インフェルノ』には、ボーボリ庭園が出てきたと思います。(この作品は、トム・ハンクス主演で映画化もされました。日本公開は2016年)
宮殿から入って左側・正面側も興深く、「オケアヌスの池と噴水」もあります。また、左側を降りていったところにある「ブオンタレンティのグロッタ(洞窟)」も歴史的には注目すべきところ。このグロッタの四隅にはミケランジェロの彫刻が置かれていました。今はアカデミア美術館に移された作品《奴隷》です。
関連記事
メディチ家とフィレンツェ(その1)

藤尾 遼

最新記事 by 藤尾 遼 (全て見る)
- フィレンツェのドゥオモ(3) - 2023年4月3日
- フィレンツェのドゥオモ(2) - 2023年3月9日
- フィレンツェのドゥオモ(1) - 2023年1月29日
コメントを残す