ティツィアーノに《ダナエ》という絵があります。
ティツィアーノ《ダナエ》
Titian, Public domain, via Wikimedia Commons
ナポリ、カポディモンテ美術館 1545-46年 120cm×172cm
ダナエは、ギリシャ神話に登場する女性で、黄金の雨となった主神ゼウスに誘惑されて身ごもり、男児を出産しました。
この絵に描かれたダナエも、(その1)で述べたコルティジャーネのようにみえます。ティツィアーノは、「ダナエ」の別ヴァージョンをいくつか描き、それらがプラド美術館、エルミタージュ美術館、ウィーン美術史美術館(これはティツィアーノ工房の作品か)に残されています。
同時代の画家・建築家のジョルジョ・ヴァザーリ(1511-74年)は、フィレンツェのヴェッキオ宮殿(あるいはドゥカーレ宮殿)内部の装飾を手がけ、ウフィツィ宮殿の建設を担うという仕事をしましたが、『画家・彫刻家・建築家列伝』も残しました(日本語訳は、『ルネサンス画人伝』『続ルネサンス画人伝』『ルネサンス建築家建築家列伝』いずれも白水社)。
ヴェッキオ宮殿
この『ルネサンス画人伝』のなかに、ティツィアーノの章が含まれています。そこには、1546年の話として、ヴァザーリがナポリからの帰路にローマに立ち寄り、ローマでティツィアーノと出会ったと書かれています。そのとき、ティツィアーノは、「法王パウルスの全身像、ファルネーゼの肖像、公爵オッターヴィオの肖像」を「実によく仕上げたので、右の方々もたいへん御満悦であった。」とのこと。その絵は、おそらくこれでしょう。
ティツィアーノ《座するパウルス3世とその孫アレッサンドロとオッタヴィオ》
Titian, Public domain, via Wikimedia Commons
ナポリ、カポディモンテ美術館 1546年 210cm×176cm
ティツィアーノは、生涯の大部分をヴェネツィアにすごした画家ですが、このときはローマにいて、ローマ教皇の肖像画も描いていたのです。
ミケランジェロとティツィアーノ
ヴァザーリの本に話をもどしますと、ある日、ヴァザーリとミケランジェロ(1475-1564年)がティツィアーノを訪ねたとき、ティツィアーノが「描きあげたばかりの一枚の、ダナエとして表された裸の女が、金の雨に化けたゼウスを膝の上に抱いている図を見せてもらった。」(ヴァザーリ『ルネサンス画人伝』)とのこと。
ヴァザーリとミケランジェロは、その場では、ティツィアーノのこの絵をほめちぎったのでしたが、ティツィアーノのもとを離れたとき、ミケランジェロはヴァザーリにつぎのように言ったといいます。
「ティツィアーノの色彩も様式も私の気に入ったが、しかしヴェネツィアでは、まず最初にデッサンをよく学ぶということをしない。これは残念なことだ。ヴェネツィアの画家たちは勉強の仕方をもっと改善することもできように、その点が惜しまれる。もしあの男が、あれだけの天賦の才があるのだから、技術を磨きデッサンで進歩したら、とくに実物を描写する訓練をしたら、もう匹敵する男はいないであろう。ティツィアーノは、実に美しい精神の持主だし、実に愛らしく溌剌とした様式をもっている。」
つまり、ティツィアーノのばあい、「色彩も様式も」素晴らしいが、「デッサン」の力がやや欠けている、という評定です。
ここでヴァザーリが言及している《ダナエ》が、現在カポディモンテ美術館にある作品かどうか、また、ミケランジェロが本当にこのように述べたのかどうか、留保をつける必要があるかもしれませんが、フィレンツェ派とヴェネツィア派との対比をよく示している話でしょう。
文化史的な美術研究を進展させたパノフスキー(1892-1968年)は、古典的著作となったかれの『イコノロジー研究』(ちくま学芸文庫・下巻)において、つぎのように述べています。
「フィレンツェの美術が素描や彫塑的な堅固さや構築的枠組みに基づいているのに対し、ヴェネツィアの美術の方は色彩と空気、そして彩画的豊潤さと音楽的調和にその基礎を置いている。」
パノフスキーの要約は、ヴァザーリの伝えるミエランジェロのことばを背景にもっていることがわかります。パノフスキーはさらに続けています。
「フィレンツェの美の理想は誇らかに直立したダヴィデの彫像に、ヴェネツィアのそれは横たわるウェヌスの絵画に、それぞれの典型的な表現を見出していたのである。」(下・31頁)
ここで横たわるウェヌス(ヴィーナス)と言っているのは、まさしく前回の《ウルビーノのヴィーナス》のような作品を念頭に置いたものでしょう。そして今回の《ダナエ》。このような官能的ヌードは、長きにわたりヨーロッパ絵画の規範となったといえるでしょう。(たとえば、マネ(1832-83年)の作品《オランピア》)
ここで、「色彩と空気」と述べられていますが、それは、「自然」を描いたティツィアーノの作品によく現れていると言えるでしょう。2つの例を挙げておきます。
ティツィアーノ(あるいは、ジョルジョーネとの合作)《田園の合奏》
Giorgione, Public domain, via Wikimedia Commons
ルーブル美術館 1510年頃 110cm×138cm
ティツィアーノ《ヴァッカスとアリアドネ》
Titian, Public domain, via Wikimedia Commons
ナショナル・ギャラリー(ロンドン) 1523-24年 176.5cm×191cm
《田園の合奏》の場合、背景になっている「自然」は、ヴェネツィアのものではなく、ヴェネツィアに近いヴェネト州のものでしょう。
《バッカスとアリアドネ》で、絵の中心で深紅色のケープを翻しているのがバッカス。その視線の先にいるのがアリアドネ。絵の右下にみえる蛇に巻き付かれたサチュロス。この三者の頭部に着目しても、身体の姿勢に着目しても、三角形の構図をしています。その安定性が、バッカスの躍動する姿とうまく溶けあっています。この絵のひときわ鮮やかな色彩が目を引きますが、当時としては最も強い色の顔料が使われているようです。
また、この《田園の合奏》をみると、マネの《草上の昼食》も連想されることも言い添えておきます。
2021.5.30

藤尾 遼

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