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ティツィアーノ(その3) 君主の肖像画

 前回、ミケランジェロによるティツィアーノ評をみましたが、色彩を特色とするティツィアーノ作品の評判は高まり、ヴェネツィアは、ローマと並んでヨーロッパ絵画の中心地となっていきます。こういう流れのなかで、ティツィアーノは、肖像画も数多く描きました。イアン・G・ケネディー『ティツィアーノ』によれば、「本当の意味で国際的な顧客を持ったイタリアで最初の芸術家だった」というわけです。
 まず、君主や教皇の肖像画を見ましょう。

 

カール5世の肖像画

ティツィアーノ《皇帝カール五世》

Tizian 081
194cm×112.7cm プラド美術館 1533年

ティツィアーノ《カール五世騎馬像》

Carlos V en Mühlberg, by Titian, from Prado in Google Earth
プラド美術館 1548年 335cm×283cm

 カール5世(1500-58年)は、神聖ローマ帝国の皇帝(在位1519-56年)であり、同時にスペイン国王(在位1516-56年)でした。マルティン・ルターによる「宗教改革」の開始が1517年。ほぼその時代の君主でした。この騎馬像は、1547年のミュールベルクの闘いでプロテスタント同盟軍を打ち破った、神聖ローマ皇帝の勝利を称える記念肖像画(石鍋真澄監修『ルネサンス美術館』参照)です。

ティツィアーノ《窓の前のカール5世の座像》

Titian - Portrait of Charles V Seated - WGA22964
アルテ・ピナコテーク(ミュンヒェン) 1948年

 これも、カール5世の肖像画ですが、「メランコリックで苦悩に満ちた表現」で、騎馬像の表現とは明確な対照をなしています。(ペドロッコ『ティツィアーノ』参照)1533年に、ティツィアーノは、カール5世の宮廷画家となっていました。その後、神聖ローマ皇帝カール5世のアウクスブルクにある宮殿を2度訪問しています。

 

フェリペ2世の肖像画

 また、カール5世の息子にして、ハプスブルク家スペインの国王となったフェリペ2世(1527-98年)の肖像画も描いています。

ティツィアーノ《フェリペ二世》

Tizian 084
プラド美術館 1551年 193cm×111cm

 なにしろ、カール5世、フェリペ2世という当時のヨーロッパの代表的な君主の肖像画を描いたのですから、ティツィアーノは、「絵画の王、いや国王をしのぐ最高の王位を手にしたといってもよい。絵画の術をもって、諸王に膝を屈せしめた。これもまた、商都ヴェネツィアらしい商魂とよんでもよかろう。したたかなヴェネツィア派がティツィアーノによって大成されたのである。」(樺山紘一『ルネサンスと地中海』中央公論新社)ということになります。

 つまり、ティツィアーノは、ヨーロッパを股にかけて活躍した宮廷画家ともいえるでしょう。16世紀後半には、ティツィアーノは、ヨーロッパ各地からの注文に忙殺されたとのことです。その結果、ティツィアーノの絵は、ヨーロッパ各地の美術館に残されているのです。(宮下規久朗『ヴェネツィア 美の都の一千年』岩波新書、参照)

ティツィアーノ《ポルトガル王女イザベラ》

La emperatriz Isabel de Portugal, por Tiziano
プラド美術館 1548年 117cm×98cm

 イザベラ(1503-39年)は、カール5世の妃にして、スペインのフェリペ2世の母でもありました。

 

 ティツィアーノは、長寿だったので画歴にも変転がありますが、変転はしても傑作を生み出し続けたといえるでしょう。かれはヴェネト州の生まれで、ヴェネツィアで生まれたわけではありませんが、10歳のころにヴェネツィアに出て、絵画を学ぶようになりました。兄弟子に、ジョルジョーネなどがいます。ジョルジョーネは、ペストに感染して夭折しました。それに対し、ティツィアーノの画歴は長く、そして基本的にヴェネツィアの地で活動を続けたのでした。

 

ローマ教皇の肖像画

 こういうティツィアーノですから、当然、ローマ教皇も描きました。(その2)で、教皇パウルス3世とその孫たちの絵をご紹介しました。
 パウルス3世の時代とは、どういう時代だったのでしょうか。
 高校の世界史教科書に出て来るような出来事はふたつあります。

  1. 教皇パウルス3世(在位1534-49年)は、イングランドの国教会の成立に際し、ヘンリー8世を破門した(1538年)。
  2. パウルス3世在位中の1541年、ミケランジェロは、システィーナ礼拝堂の祭壇壁画「最後の審判」を完成させた。

 この絵《座するパウルス3世とその孫アレッサンドロとオッタヴィオ》に関して、ティツィアーノに描いてもらうという名誉を手にするために、「世の権力者たちが競い合ったのも無理はない。といっても、ティツィアーノの肖像画が、権力者のお気に召すように描かれていたというのではない。権力者たちは、ティツィアーノに描いてもらえば、自分たちが後世まで生きつづけられると思ったのだ。実際、彼らは生きつづけた。」と、ゴンブリッジは書いています。(ゴンブリッジ『美術の物語』)

2021.6.5

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