画集などでよく見かけるティツィアーノ作品に《聖愛と俗愛》があります。これは、フィレンツェではなく、ローマのボルゲーゼ美術館にある作品です。
ティツィアーノ《聖愛と俗愛》
Titian, Public domain, via Wikimedia Commons
ボルゲーゼ美術館 1515年頃 118cm×279cm
題名は《聖愛と俗愛》ですが、描かれたどちらの女性が「俗愛」の象徴なのか、おわかりですか。
パノフスキーの解釈
以前(その2)でふれたパノフスキーは、その『イコノロジー研究』下で、この絵について立ち入って論じています。イコノロジーは、「図像解釈学」と訳されます。
それによれば、この絵の題名は、「ふたごのウェヌス〔ヴィーナス〕」と読みとられるべきであり、裸身の女性像は「天上のウェヌス」を表わし、「宇宙の、しかも永遠の、それにもかかわらず、純粋に知的にとらえることのできる美の原理を象徴する。」もう一方の女性像は「地上のウェヌス」であり、「滅ぶべきものではあるが、見ることのでき触れることのできる「美」のイメージ、すなわち人間や動物たち、花々や木々、黄金や珠玉、それに人間の技芸が考案した様々な作品をこの地上に創り出す「生産力」を象徴している。」というのです。
さらに、パノフスキーは、この絵画の背景についても、つぎのように述べています。
「左半分は要塞のある町と二羽の野兎か飼い兎(動物的愛と多産の象徴)が描かれた薄暮の風景であり、右半分はもっと鄙びて質素ではあるが、羊の群れがいたり、村の教会のある、明るく輝いた風景である。」というのです。
「美の原理」を象徴する、などと、説明がやや抽象的だと思われるかもしれませんが、それには理由があります。1430年代からメディチ家の当主となっていたコジモ・デ・メディチは、メディチ家のフィレンツェ支配を確立した人物。かれはまた、ルネサンスの重要なパトロンともなり、「プラトン・アカデミー」の基盤を創ったことでも知られています。コジモは、フィチーノにプラトン全集の翻訳(ギリシャ語からラテン語への翻訳)を行なうよう示唆し、フィチーノはその仕事に邁進します。
コジモとその孫ロレンツォの時代は、メディチ家権力が絶頂期にあった時期です。メディチ家やその他の富豪たちがパトロンとして存在しなければ、壮麗にして豪華な芸術作品がフィレンツェに数多く誕生することはなかったでしょう。
フィチーノの像
コジモ・デ・メディチの肖像
Workshop of Bronzino, Public domain, via Wikimedia Commons
1453年には、コンスタンティノープル陥落があり、これによって東ローマの学者たちが多数フィレンツェに来ていた、そういう時代でもありました。この時代に、プラトン・アカデミーの指導者的地位にあったフィチーノは、「新プラトン主義」といわれる学説を展開するようになります。
パノフスキーが述べている「美の原理」などのことばは、まさしくこの新プラトン主義的な含みをもっており、《聖愛と俗愛》は、ティツィアーノが新プラトン主義の哲学に自ら進んで讃辞を呈した唯一の作品」だと、パノフスキーは解釈しているのです。「唯一の作品」だということからすれば、ティツィアーノ自身が新プラトン主義に親近感を持っていたとも思えませんが、その点はさておくことにしましょう。
イコノロジー的な解釈については、こんにちでは、いろいろな批判も出されています。なにしろ、パノフスキー(1892-1968)は、ナチスによる迫害を逃れてアメリカに渡り、プリンストン高等研究所教授となった美術史家。かれの『イコノロジー研究』(1939年)は、その後の美術史研究に甚大な影響を与えたとはいえ、その刊行から80年以上が経過していますから。
結婚図
この《聖愛と俗愛》は、ヴェネツィア共和国の十人会議書記官ニコロ・アウレリオの結婚記念画とされたもの。「ふたごのウェヌス」の間に描かれたクピド(キューピッド)が水をかき混ぜているのは、ふたつの愛の原理をひとつにしようという暗喩かもしれませんし、この絵については、そのほかにもいろいろな解釈があるようです。
この絵については、宮下規久朗氏『ヴェネツィア』には、ニコロ・アウレリオとその結婚相手の間に、当時のヴェネティアを取りまく血なまぐさい政治闘争がひそんでいたとする説についても説明されていますが、関心のあるかたは、この本をご覧ください。
また、パノフスキー『イコノロジー研究』では、ティツィアーノ作品に関しては、以下の二作品を、「ティツィアーノのもっとも有名な二つの「象徴的な」作品」だとして、やや立ち入って論じていますが、ここではその論の紹介は差し控え、写真だけ掲載しておきましょう。
ティツィアーノ《結婚の寓意》
Titian, Public domain, via Wikimedia Commons
ルーブル美術館 1530年頃 123cm×107cm
パノフスキーの著作では、この作品の題名が《アルフォンス・ダヴァロスの寓意図》とか《ダヴァロス公爵の寓意図》となっていますが、ここに掲げた《結婚の寓意》と同じ作品です。
ティツィアーノ《クピドに目隠しをするウェヌス》
Titian, Public domain, via Wikimedia Commons
ボルゲーゼ美術館 1565年頃 118cm×185cm
パノフスキーが、この絵を《クピドの教育》という題名として論じていること、この絵を、「ティツィアーノの最晩年の傑作の一つ」だとし、これも「結婚図」だとしていることを追記しておきます。「結婚図」も、画家にとっては重要な注文品でした。

藤尾 遼

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