ティントレット《受胎告知》
すでに書いた「ティツィアーノ(その8)宗教画」のところで、短期間ながらティツィアーノの工房にいたことのあるティントレット(1518-94年)の《受胎告知》にふれました。これは、フィレンツェにある絵ではありませんが、比較のためにここで取り上げておきます。
ティントレット《受胎告知》
スクオーラ・グランデ・ディ・サン・ロッコ(ヴェネツィア) 1583-87年 油彩・カンヴァス 422cm×545cm
この巨大な絵を、ベアト・アンジェリコ《受胎告知》と比べると、どうでしょうか。
アンジェリコの絵は1440年代のフィレンツェの僧院を飾り、ティントレットの絵は1580年代のヴェネツィア、サン・ロッコ同業組合の建物のなかに描かれたものです。
『加藤周一著作集』(第19巻、平凡社)所収の『絵のなかの女たち』や短文「ヴェネツィアに冬」には、ティントレット《受胎告知》にふれたところがあります。
今は亡き加藤氏は、この受胎告知図の「劇的な迫力は見る者を圧倒する」と書き、つぎのように続けていますが、その一部だけを抜き書きします。
「背景はもはや静かな僧院の一隅ではなく、柱が折れ、壁の崩れ落ちた廃屋である。外光は画面の左手から壁の裂け目を通って、暗い室内に射しこみ、飛翔する天使と聖母の上半身を照らしだす。暗い天井の闇のなかからは、光り輝く鳩=聖霊が、羽を拡げ、聖母をめがけて、真直ぐに降下している。明暗の対照は鮮かで、穏かな光の至るところに満ちていたフラ・アンジェリコの画面とは全くちがう。」・・・「聖母にとって事件は全くの不意打ちであり、彼女の表情と両腕の動き、また殊に大きく指を開いた左手は、何よりもおどろきを、ほとんど戦慄と恐怖さえをも、あらわしている。」
1983年から84年にかけての1年間、ヴェネツィアの大学で教鞭をとった加藤氏は、その滞在のあいまに、ヴェネツィアの街を歩き回り、そこに残る美術品に相対し、スクオーラ・ディ・サン・ロッコにある56枚のティントレットの絵もくり返し見たといいます。そのことを、「ヴェネツィアの冬」というエッセイに書き残しました。
そこには、《受胎告知》図で、「何故この天使はマリアの前におだやかに跪いていないのか。」に始まり、いろいろな疑問を投げかけています。その疑問点は、ここに引用したことと部分的には重なっています。いろいろな疑問点を列挙したあとで、かれはつぎのように書いています。
「・・・もとよりそういう問題についての画家の答を知ることはできない。たとい会って訊いてみたところで、つまるところ彼のほんとうの答は、画面のほかにはないだろう。しかしその画面を作りだした者へいつまでも問いかけながら、私はその画面と私との関係を生きるのである。」
絵の前に立ち、「なぜこのように描かれているのか」、そのようなことを思いめぐらし、あるいは問いかける。絵をみる面白さの一面でしょう。
《受胎告知》のことを書いてきましたが、最後に岡山・倉敷の大原美術館にエル・グレコ《受胎告知》(1590頃-1603年頃)があることを付け加えておきます。この作品は、お告げが夜になされていること、天使が宙に浮いていることなど、たとえば、ベアト・アンジェリコの《受胎告知》とは大きく異なる世界を作っています。(高階秀爾『受胎告知』PHP新書、参照)
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藤尾 遼

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