「聖母」像には「受胎告知」図のほかに、これまた数限りなく描かれた「聖母子」図などがありますが、ここでは「ピエタ」の彫刻を取り上げます。
ミケランジェロ《ピエタ》
「ピエタ」とは、慈悲心といった意味ですが、死後に十字架から降ろされたイエスを抱くマリアの像のことです。もっとも有名な作品は、ローマのサン・ピエトロ大聖堂のミケランジェロ(1475-1564)の彫刻でしょう。
ミケランジェロ《ピエタ》
私も、ヴァティカンで最初にこの作品に接したとき、思わず息をのむような衝撃を受けました。
これは、「ミケランジェロの名声を確立した作品」で、聖母の帯に「フィレンツェ人ミケランジェロ・ブオナローティ作」と刻まれています。(石鍋真澄監修『ルネサンス美術館』)
ロマン・ロラン(1866-1944)の『ミケランジェロの生涯』(岩波文庫)では、この作品について、つぎのように書かれています。
「久遠に若い「処女」の膝の上に、死せるキリストは眠れるように横たわっている。清純なる女神と受難の神の顔には天上の端厳さが漂っている。けれどもまたそこには言い現わしがたい憂愁が溶け、二つの美しい姿を浸している。悲哀がミケランジェロの魂に乗り移ったのであった。」
ミケランジェロには、このサン・ピエトロのピエタの後、4体のピエタ像を手がけたのですが、いずれも未完成に終わりました。フィレンツェにはそのうちの2体が残されています。
ドゥオモのピエタ
ドゥオモ付属博物館(フィレンツェ) 1547-55年頃 大理石 高さ22cm
この作品は、墓碑用の彫刻として意図されていたようです。
ただし、ミケランジェロと親交のあったヴァザーリの伝えるところでは、ミケランジェロは、この大理石の一部を砕いてしまったとのことですが、いずれにせよ、完成品とはいえません。(アンソニー・ヒューズ 『岩波 世界の美術 ミケランジェロ』(森田義之訳、岩波書店)による)
この作品で、イエスの後ろ側に立つ男性はニコデモでしょう。ニコデモの名前は、ヨハネ伝19章39節に出てきます。
ミケランジェロのピエタには、つぎの作品もあります。
パレストリーナのピエタ
ただし、これは、ミケランジェロの手になるものではないとする説もあります。
アカデミア美術館は、むろんミケランジェロ《ダヴィデ》のオリジナルが展示されているところですし、ミケランジェロの《奴隷》シリーズもみることができます。
フィレンツェには、他にもミケランジェロ作品があります。フィレンツェ旅行が可能となる時期が早く来ますように。
フィレンツェにあるミケランジェロ作品については、ミケランジェロについての記事もご覧ください。
ボンのピエタ
十字架に架けられたイエスがそこから降ろされたとき、マリアがイエスを膝の上で抱えたというのは、身体的に考えれば、無理のある姿勢でしょう。しかし、この図像は14世紀初頭にまずドイツで生まれ、その代表が《ボンのピエタ》とよばれる木彫像だとのことです(宮下規久朗『聖母の美術全史』)。ピエタは、ドイツ語ではVesperbild とも表現されますが、この《ボンのピエタ》は現在、ライン州立美術館の所蔵作品です。
「ボンのピエタ ライン州立美術館」で検索しますと、いろいろ画像が出てきます。宮下氏の記述を拝借しますと、《ボンのピエタ》は、「解剖学的な正確さを無視しているが、頭を後ろにのけぞらしたキリストの遺体から噴出する血の表現や聖母のけわしいまでの悲嘆の表情によって際立っている」作品です。
宮下氏は、この《ボンのピエタ》とサン・ピエトロ大聖堂のミケランジェロ《ピエタ》をつぎのように対比して説明しています。
「ミケランジェロのルネサンス的な静穏な古典主義に対して、ドイツ・ゴシックの激しい表現主義との対比をこれほど顕著に示すものはない。〔中略〕芸術作品として見ればミケランジェロの《ピエタ》の方が完成度が高い名作だといえるが、実際に子どもを失った母親の感情をより明瞭に表現しているのは《ボンのピエタ》の方である。この像は二十世紀に起こるドイツ表現主義を予告し、二十世紀以降ますます評価を高めている。」
トーマス・マン『魔の山』での会話
宮下氏のこの説明を読んで思い起こすのは、トーマス・マン(1875-1955)の小説『魔の山』(原本・1924年刊。高橋義孝訳・下巻、新潮文庫)です。(マンはこのあと、1929年にノーベル文学賞を受けています。)
この『魔の山』第六章に、《ボンのピエタ》を思わせる作品の話が出てきます。主人公の青年ハンス・カストルプが、ナフタのところを訪問したとき、そのソファ・セットの一隅にあったのが「彩色した大きな木彫の像である。おしせまるようなすさまじさ、素朴で、グロテスクなまでに印象強烈なピエタであった。」として、その様子が描かれます。(ゴチックは引用者。以下、同じ)
「頭巾をかぶった聖母は眉根を寄せ、悲嘆に歪んだ口を開いて、膝には受難のキリストを抱いている。大きさの釣合いに幼稚な誤りがあり、極端に誇張しながら、解剖学を無視した像であった。いばらを巻かれてうなだれた頭、血にまみれ、血を流す顔と四肢、脇腹の傷口と手足の釘痕から流れでた血は大粒のぶどうの房のようになっていた。」
この像はいつのものかとハンスが尋ねると、ナフタは「十四世紀です」「おそらくライン地方からでたものでしょう」と答え、ふたりの会話は続く。
「ひどく感心しました」とハンス・カストルプはいった。「見る人に感銘を与えずにはおかない。ぼくはこれまでこれほどに醜く——失礼ですが——同時にこれほどに美しい物がありえようとは思ってもみませんでした」
ふたりの会話はまだ続きますが、そこに加わったセテムブリーニが、「ギリシア・ローマの遺産、古典主義、形式、美、理性、自然崇拝の明朗さ」を称揚します。ここでは「表現主義」ということばは使われていませんけれども、「古典主義」と「表現主義」の対立が描かれているといえるでしょう。
また、ここに出てきた「木彫の像」が、《ボンのピエタ》あるいはその模刻なのかどうかは判然としません。しかし、《ボンのピエタ》を連想させるに十分な描写です。マンは、『魔の山』のこの部分でも、ヨーロッパ文化史の広い視野のなかで議論を展開していたといえるでしょう。
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藤尾 遼

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